カフェ・ブレイク
閉店時間ギリギリに、彼はようやく席を立った。
「ありがとう。マスター、長居してごめんね。コーヒーとっても美味しかったよ。また来ていい?」
衒いのない笑顔でそう言われて、一瞬、面食らった。

「ありがとうございます。また是非お越しください。」
もちろん、俺は極上の営業スマイルでそう応える。

すると彼は、ニヤリと笑った。
「ああ、そうさせてもらうよ。僕、気に入っちゃった。マスターの入れるコーヒーも、お店の雰囲気も、マスターも。」

ヒクッと片頬が引きつった。
「……ありがとうございます。」
無理やりそう言って、見送った。

まったく、年の瀬にやっかいなのが来たもんだ。
来年は波乱の年かもしれない。
……マジでなっちゃん、こっちに帰ってくるのかもな。




翌春4月、とうとう来た。

夕方の高校生が賑やかな時間帯に、店のドアがそろりと開いた。
「いらっしゃいませ。」
営業スマイルで、顔を出して店内をうかがうお客さまを見る……え?

なっちゃん?
……いや、確かに顔はなっちゃんのものだ。

なのに、驚くほど印象が違った。
どうした?
たった2年で……こうまで変わるものなのか?

「帰ってきちゃいました。」
ああ、この声だ。

やっぱりなっちゃんだ。
なのに、なんて痛々しい笑顔なんだ。
俺は胸が痛んだ。

「お帰りなさい。」
とりあえずはそう言ったけれど、心の中にもやもやが広がっていく。

言いたいことがいっぱいあった。
どうして連絡を寄越さなかったんだ?
去年の夏、こっちに来たなら、顔を見せに来いよ。
離婚したなら、さっさと帰ってこい。

……でも、どれも言葉にできなかった。
他のお客さまの目もあるし、何よりも、なっちゃんがこの2年間ですっかり別人になったような気がして……俺には何も言う権利はないと思った。

「お久しぶりです。お変わりありませんか?」
なっちゃんがそう言いながらカウンターに座った。

「ええ。相変わらずですよ。……いや、老けたかな?なっちゃんは、さらに綺麗になりましたね。お元気でしたか?」
当たり障りない言葉を交わす。

「無駄に元気です。こっちで働きたくて探してるんですけど、募集自体が少なくて。とりあえず、産休の代理待ちしながら、タカラヅカの生徒の付き人をすることになりしました。」

は???
頭の中に疑問符が飛び交う。

「何?それ。付き人?給料出るの?」
思わず、営業用の丁寧語が飛んでしまった。

慌てて咳払いして言い直した。
「ボランティアですか?」

なっちゃんは、フフ、と笑った。
「懐かしい。やっと章(あきら)さんに会えた実感わいた。あ、ごめんなさい、マスター。」

白々しい。

どう見ても確信犯だろ。
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