カフェ・ブレイク
なっちゃんは、コーヒーを飲むとすぐに席を立った。
「お急ぎですか?」

珍しいな……と、そう聞いた。
「ええ。今日は集合日なんです。」

集合日?
小門も首をかしげた。

「あ、えーと。次の舞台のお稽古が始まる日なんです。」
……ああ、そういや、タカラヅカの生徒の付き人を頼まれたって言ってたっけ。

なっちゃんが財布を出す前に、俺は準備していたコーヒーチケットを1枚ちぎって見せた。
「いつもありがとうございます。またのお越しをお待ちしています。」
コーヒーチケットの上部には「大瀬戸様」と記してあった。

なっちゃんは驚いたようだが、うれしそうに笑った。
「ごちそうさまでした。また来ます。」
飛び跳ねるような後ろ姿は、中学生の時とあまり変わってないように感じた。


「……いいなあ。俺にはチケットを売ってもくれないのに。マスター、依怙贔屓だ。」
カウンターで小門が拗ねたような口調でそうこぼしていた。

「友人とは言え、経済力のあるお客さまには、正規の値段で飲んでいただけると、うちも助かりますので。」
小門は、やれやれ、と肩をすくめた。


その夜、なっちゃんは閉店間際に再びやって来た。
最後のお客さまのお見送りも終え、店内を片付けていた時だった。
「間に合ったぁ~。一緒に帰りましょ?」

「ああ。……それ?なっちゃんの車?」
店のすぐ前に、赤いトヨタ86が駐まっていた。

「はい。愛車です。」
ニコニコそう言うなっちゃんがかわいくて、俺の頬もゆるんだ。

「車高低っ。ちっちゃっ。……でも、おもしろいね。運転も堂に入ってる。」
マンションまでの短い距離だけど、なっちゃんがすっかりマニュアル車の運転に慣れてることはよくわかった。

「横浜は坂が多いので、エンストにも慣れました。神戸のように方向が一定じゃなくて、急に傾斜の大きな坂が現れたりするんですよ。最初のうちは大変でした。でも、マニュアル車にしてよかった。オートマなら、小姑に乗っ取られるところでした。」

やっと横浜の話をしたな。
「小姑までいるんだ。同居?」

車をマンションの地下の駐車場に駐めながら、なっちゃんは淡々と続けた。
「最初はすぐ裏の空き家に住みました。私は知らなかったのですが、元夫が姑に鍵を渡していて、留守中に出入りされてたそうです。」

それは……きついな。

「半年後に、勤務地の近くに部屋を借りて、1人で逃げ出すように引っ越しました。」

完全にエンジンを切ってから、目を伏せてなっちゃんは続けた。
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