ビタージャムメモリ
所在なく立っていた私は、先生が示してくれた向かいのソファに、そっと腰を下ろした。

このふたりがお友達同士だったのか…。

ということは、さっきこの近辺に先生がいたのは偶然じゃなく、ここに来て、前川さんと話すためだったんだろう。



「そのプロデューサーも本物だぜ。それどころか相当敏腕で通ってる男だ、うちにも出入りしてる」

「疑いがあるのは女の趣味だけか」

「お前の姉貴ってのは、そんなひどいのか」

「もしそのプロデューサーが女連れで来ることがあって、その女に歩の面影があったら、絶対に歩と会わせないでやってくれ」

「…いろいろと大変だな、お前も」



その時、ドアがノックされて、滝沢さんが顔を覗かせた。



「オーナー、歩の出がもうすぐ終わります、連れてくればいいんですよね?」

「おー、よろしく」



ほどなくして、歩くんがやって来た。

明らかに状況を知らされていなかったようで、オーナーの他に先生と私がいるのを見て、戸口で足を止める。

その瞳に反抗的な色が宿るのを見て、前川さんがなだめた。



「勘違いするな、単に眞下が、お前と話せる場所が欲しいって言うから提供したまでだ。別によってたかって説得しようってんじゃない」

「…なんで、弓生まで」

「香野さんはお前を心配して来てくれたんだ、ここで会ったのは偶然だ。こっち来て座れ」



先生に、隣のソファを指されて歩くんは少しためらい、最終的には従った。

バイオリンのケースを脇の床に置いて、コートを着たまま座る。



「さて、俺は外すかな、まあよく考えろよ歩。お前がデビューしてくれんのはやぶさかじゃない、店の宣伝になる」

「別に俺、これで食ってく気ねえし…」

「じゃあ何で食ってく気だよ。お前、他に何できんの? 学校もろくに行ってねえんだろ?」



肩に置いた手で、歩くんをぐいぐいと揺らし、前川さんがからかうように言った。

歩くんはうつむいて、黙ってしまう。



「お前に考えがねえから、眞下もうかつに選択肢を減らすようなことができねえんだろ。ちっとは親心をわかってやれ」

「…子供扱いすんな」

「あのな、子供と思ってたら、眞下が代理で契約済ませてきて終わりだよ。そうじゃねーからこうして話してんだ、ガキ」


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