ビタージャムメモリ

「あの…すみません、私、歩くんとは、その、友達みたいな感覚なので、いてくれると、気が楽というか」

「そう」



気のない相槌が返ってくる。

えええ…。



「楽なほうがいいなら、歩と遊んでたらいいよ」



冷たい言葉と裏腹に、左手が伸びてきて、私の頭をかき回した。

ぐりぐりと揺らされながら、顔が赤くなっていくのを感じる。



「ふ、ふたりのほうがよかったですか…」

「今それを訊く?」



がくりと脱力を見せる先生に、あの、と勇気を振り絞った。



「思いついたのですが、その、今さらなんですが、したいことというより、していただきたいことというか、いいですか」

「いいよ、何」

「私のこと、な、名前で呼んでいただけないでしょうか…」



先生の手が止まった。

単純明快なお願いだけに、これ以上言い募ることも見つからず、私は頭に手を置かれたまま、落ち着きなく視線を動かす。

先生の無言が耐えがたい。



「"弓生"って最初、音楽一家なのかなと思ったんだよね」

「え?」

「どういう由来?」



純粋に疑問だったんだろう、顔を上げると、先生は首をかしげて、本当に答えを聞きたそうな感じだった。



「ええと、父が弓道の段を持ってまして、それでです。弓のようにしなやかに生きろと」

「弓矢の弓か、なるほど」

「兄は弓の"つる"という字で、弦(げん)といいます」

「ますます音楽関係かと思っちゃうね、こちらとしては」



言われてみればそうだ。

先生は「でもいい名前だね」と得心顔でうなずいている。



「あと、これはふたりともなんですけど、人に力をあげられる人間になりなさいって願いも込めたそうです。弓が矢に推進力を与えるように」



気まずさを払拭したくて、全部喋った。

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