ビタージャムメモリ
大丈夫です、と即答できない自分を情けなく思いながら、部長をどう説得しようか考えた。



『一応こちらは進めておきますね、費用の面はまたご相談します』

「こちらもすぐに上に掛け合います。概算でいいのでお見積りをいただいてもいいですか?」

『明日にはご用意できますよ』

「よろしくお願いします、あっ、ごめんなさい」



人にぶつかりそうになってしまった。

電話を切りながら謝ると、ビジネスマンらしきその人も、いえ、と応えてくれる。

お互い、相手を確認して、固まった。



「先…」



生、と言いかけて、眞下さんと言うべきだったと悔やみ、かといって言い直すのも妙で、声が消えてしまう。

先生もびっくりしたように目を見開いて、足を止めていた。

手には大きめのバッグを提げている。



「…ご出張ですか」

「ええ」



私の視線をたどって、自分の手元を見下ろしてうなずいた。

ここは在来線から新幹線への連絡口のある階だ。

まさに今から発つところなんだろう。


そこに遭遇するって、どんな偶然…。



「お、お忙しいんですね、本当に」

「いや、今ちょうど、あれこれ重なっていて。定例会にも出られず、申し訳ない」

「いえっ、そんなことを言いたかったわけじゃ…」



私は先生の顔を直視できず、でも立ち去るきっかけも思いつかずで、視線を泳がせて立っていた。

すると予想外に、先生のほうが口を開いた。



「香野さんは、ここで何を」

「仕事でちょっと、手土産を用意する必要がありまして、買い物を、あっ…」



そうだ、先生にこそご報告しなきゃだ。

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