うそつきハムスターの恋人
翌日、出勤するとまず課長のデスクに向かった。

「金曜日、時間休をいただきたいんですが……」

「お? 大澤さんどしたの?」

私は夏生のギブスが外れることを報告した。

「時間が四時からなので……付き添いしたいと思いまして」

課長は小さな目を細めて、「ギブス外れるの? よかったねぇ」と微笑んだ。

「はい、了解。届けだけ出しといてね」

ぺこりと頭を下げて、デスクに戻ると、向かいの席から加地くんが顔を出した。

「ギブス、外れるんだ。よかったね」

「うん。思ってたより早かったよ」

加地くんはにっこりと笑うと、パソコンに向かった。

お昼休みになり、一階のメイズでお昼ごはんを買おうと並んでいると、後ろからぽん、と肩を叩かれた。

「しずくちゃん!」

振り返ると、宮下さんと夏生が立っていた。
夏生は私の方を見ずに、少し先の床のあたりを見ていた。

「こないだはありがとね。今からお昼? 」

宮下さんがにこにこしながらたずねる。

「はい。宮下さんたちもですか?」

「そう。あ、じゃあさ、三人で外に食いに行こうぜ!」

宮下さんは、私と夏生の背中をぐいぐいと押すと、メイズから出てしまった。

数分後、宮下さんがおすすめだという会社近くの定食屋さんで、私はさばの味噌煮定食を、夏生は生姜焼き定食を、宮下さんはトンカツ定食を食べていた。

テーブルはサラリーマンたちで満席だ。

「水嶋、明後日ギブスが外れるんだって?」

宮下さんに話しかけられて、さばの骨を一生懸命探していた私は顔を上げる。

「あ、そうなんです。予定より早くてよかったです」

「ほんと、よかったなぁ、水嶋」

宮下さんは夏生の右肩をぽんぽんと叩いた。

夏生は「いてぇよ」とぼやき、嫌そうな顔をする。

「しずくちゃんもこれでひと安心だね」

「そうですね。怪我をさせちゃった時は、どうしようかと思いましたから」

「まぁ怪我がきっかけでこんなかわいい彼女ができたんだから、よかったじゃん、水嶋。まさに怪我の功名ってやつだよなぁ?」

夏生は宮下さんを完全に無視して、生姜焼きを口に運ぶ。

なんか……機嫌が悪いのかな……。
昨日の夜くらいから、夏生の様子が変だ。
急に黙り込んだり、私の顔をじっと見たかと思えばふいと目をそらしたり。

なんだろう。
私、怒らせるようなこと、したかな。

ギブスが外れても、そのあとにつらいリハビリが待っているのに、私が能天気に喜んだりしているから怒ってるのかもしれないと思った。

そのあとも、夏生は私と目を合わせてくれなかったし、いつもみたいに優しい顔で話しかけてもくれなかった。

やっぱり、私に対してなにか怒っているんだ。

だんだん悲しくなってきて、私はさばの味噌煮を半分残してお箸を置いてしまった。

「あれ? もうお腹いっぱい?」

私が下を向いたままうなづくと、夏生が私の残した味噌煮のお皿を無言で取り、一口で食べてくれた。

宮下さんは、「さすが水嶋、やっさしー」とひやかしてから、腕時計をちらっと見て 「そろそろ戻ろうか」と席を立つ。

「あ、ごめん。会社から電話。俺、先に戻るわ」

お店を出たところで、スマホをちらっと見た宮下さんは、私たちに謝った。
そのあと、「お疲れ様です、宮下です」と電話で話しながら、足早に会社に戻ってしまった。

定食屋さんの前で私と夏生は無言で見つめ合う。

「……なにか、怒ってる?」

「別に」

夏生は私からふいと目をそらしてしまう。

私はそれ以上はなにも言えずに黙り込んだ。

私のことを見てくれない夏生がさみしくて。
夏生がなにを考えているのか、わからない自分が悔しくて。

「……ごめん」

うつむいて涙をこらえていたら、夏生が私以上に悲しそうな声で謝った。

「ほんとに何でもない。ちょっと……疲れてただけ」

夏生が頭をなでてくれる。

「ほんと、ごめん」

顔を上げたら、夏生はいつものように優しい顔で笑ってくれた。
よかった。
私に怒ってたんじゃなかった。
ほっとして、思わず頬がゆるむ。

「なぁ、しずく」

「ん?」

夏生が真剣な顔で私の目をじっと見つめた。
私の瞳の奥を覗き込むように。
ドキドキした。
私の本当の気持ちに夏生は気づいているのかもしれないと思った。

「……やっぱいいや。金曜日に言う」

夏生はそう言うと、私の手を取って、会社に向かって歩いた。
そして、その手は私が十階でエレベーターを降りるまで、繋がれたままだった。





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