そのキスで教えてほしい
***


勤務時間外の労働を終えた私はタイムカードを切ると「ふう」と息を吐いた。

鈴沢 由麻《すずさわ ゆま》二十五歳、残業多めで仕事を頑張っている。

働いているのは飲料メーカー本社の商品販売部、販売企画課。

頑張る理由は、社会人になった責任感というか。
お給料を頂いているわけだから、それに見合うような働きはしたいから。

なんて周りにはカッコつけて言うけど、恋人もいない、熱中するものもとくにないわたしには単に仕事しかやることがないだけ、という悲しい現実。

いいんだ。そのうち時期が来れば恋人ができて、ポンと結婚も……時期ってなに? そんな簡単に相手って現れるの?

と、最近自分の楽観的な考えが危険なことに気づきはじめた。
けど、「恋をするぞ!」と張り切るようなことも、なんとなく気恥ずかしくてできず。
結局仕事ばかりになっている自分だ。


会社の薄暗い通路を歩きながら、今度は「はあ」なんて息を吐いて出入口に向かう。
警備員さんに「お疲れ様です」と挨拶をされて笑顔を作ってお辞儀をした。

十一月になったら急に寒くなった。暖かい季節がいいな――と、宙を漂っていた視線がたまたま端に向いたとき。

「なんでよっ……!」

女の人の悲痛な叫びに体がびくっとなる。
会社の外、遅い時間で人通りのない歩道の隅。
わずかに届く外灯で『ふたり』の存在を確認した。
修羅場かしら。
そう思った理由は、スキニージーンズにジャケットを着たスタイルの良い女の人が男性の着ているコートの襟を、思いきり掴みながら泣いていたから。

別れ話かな?
男性のあまりの冷たさに女性が耐えられなくて泣いているという感じか。
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