定時になるまであと5分
国橋は泣きそうになっている私に気付いたのか、自分から言葉を紡いでくれた。
「知ってるか? 婚姻届はシャチハタで捺印しても認められないらしいぞ」
「大丈夫知ってる。ちゃんと実印です」
「ですよね……」
だから残念そうにしないでよ。
うなだれても格好いいその顔に、また涙が出そうになる。
同じ名字だからややこしいと言って、国橋はいつも私のことを〝まどか〟と下の名前で呼んだ。
けれど今日さっきは〝国橋〟と呼んだから。
それにすごく戸惑った。
定時になるまで、あと5分。
「……お前がこのまま、ずっと俺と同じ名字でいる、っていう可能性は……なかったんですかねぇ、やっぱり」
「……」
そんなことを考えた時期が、実は、なかったわけでもないんですが。
すべてはタイミングのようです。
涙を押し込めて意地悪く笑ってみせた。
「なかったみたいですねぇ……残念でした、国橋」
彼に言うようにして私はきっと、自分に言ったのだ。
残念でした、国橋。
私はこの名前を手放します。
さよなら、国橋。
私の存在を一緒に主張してくれた人。
そうして手の中に握ったままだったソレはゴミ箱の中へ。
***
【印鑑】


