身代わり王妃の恋愛録

「わ…っ」

想像以上だった。袖を通してみたブルーのドレスは想像以上。良質な素材と、丁寧な仕事に改めて感動する。

「こんなに素敵なドレスを2枚も作っていただいて…ありがとうございます」

私はできるだけ感謝の気持ちが伝わるように、丁寧に頭を下げた。この辺は多分ミレイの演技ではない。けど、頭を下げずにはいられない。

私好みではないと思っていたピンクのドレスもとても素敵だった。動きやすいし、肌触りも良い。細部のデザインも素敵。これがまだ完成じゃないというのだから素敵さがとどまるところを知らない。

またもこみ上げる涙をさりげなく拭い、私は口元を引き締めた。こうでもしないと私はまた、みっともなく泣き崩れてしまう。

「私たちも似合う人に着てもらえたら嬉しいもの。ドレスもきっと喜んでいるわ。こちらこそありがとう」

そう言ってエリナリーのおば様は優しく微笑んだ。またも泣きそうになる私の目元を今度は陛下が拭ってくれた。

「あのアル坊ちゃまが…ついに結婚を決めたというのだからどんな人なのかすごく楽しみだったの。あなたみたいな素敵な人で良かったわ」

私の涙腺はなかなか弱い。そんなこと言われたらまた泣いてしまう。それに私は本物じゃない。

この優しく素敵なおば様たちが望む人物とは全然違う。

そのことが苦しい。まるで突然空気がなくなってしまったかのように、苦しくなるのだ。

私は小さく口元に笑みを浮かべて目を伏せる。こんな優しい人たちに私は嘘を吐いている。そのことがたまらなく辛い。

「12歳になった時に異国に旅立ってから…もう会えないと思ってたアル坊ちゃまがまさかお嫁さんを連れてくる日が来るなんてね」

「え…」

異国に、旅立つ。それはつまりどういうことだろう。

違う国にいたということ?何故?次期国王が、国をあけるの?留学?いや、この国ほど教育機関が整った国はないように思う。わざわざ留学する必要なんてない。じゃあ、なんで…?

「あら?有名なお話だと思っていたけれど…。確かアル坊っちゃまはシャーレットにいたのよね」

…嘘。ならどうして私は知らないの?異国の王子様が滞在しているのに…知らないなんてことがあるの?秘密裏だった?まさか。あの父が知らないはずもないじゃない。そしていずれ私にも情報が伝わるはず。なら、なんで…?

陛下が12歳ってことは…私は10歳になる少し手前か。9歳かそこら。確かにふらふらしてた。放浪癖があったし、度々家を抜け出してこの国に遊びに来て、ホームステイまがいのことはしていた。でも度々家に戻っていたし…あれ?戻ってた?本当に?

「エリナリー殿、申し訳有りませんが、そろそろ失礼いたします。ミレイ、そろそろドレスを…」

陛下が静かにエリナリーのおば様のお喋りを止めた。まるで話してほしくないような止め方だ。気のせい?知られたくない、というのは私の勘違い?

待って。何かが変。なんか…なんか…変だ…。

「…い、…い」

陛下の心配そうな声が、表情が、遠のいていくような感覚を覚える。声が出ない。とりあえず陛下に手を伸ばしてみるも宙を掴む。

やがて私の足は力が抜け…私はそのまま意識を手放した。

倒れた私を支えてくれたのはひどく懐かしい、そして優しい腕だったように思うー。



***


…ウ…。…ウ…。

ああ、誰かが何かを言おうとしてる。

何となくだけどそう思った。その口調が酷く優しくて、そして寂しそう。

ーウ…。フウ…。

ああ。違う。何かを言おうとしたんじゃない。たぶん、私のことを呼んでるんだ…。

誰?どうしたの…?何でそんなに寂しそうなの…?

私の名前を、まるで愛おしいものでも呼ぶように優しく囁く人なんていただろうか。

もしかしたら夢なのかもしれない。きっと都合の良い夢。私はたぶん、誰かに“私”を必要としてもらいたいのだと思う。だからこんな夢を見るのだ。

物心ついた時から理解していた。私はシャーレット王家にとって…あの女王にとっては邪魔な存在。きっとそのうち追い出されるなり、消されるなりするだろうと。

だからこそ、強くなりたかった。独りで生きていける強さと力が欲しかった。

ある日突然何もかも失っても、臨機応変に対応できるだけの経験と力、いろんなものを小さな頃から貪欲に欲していた。

近寄ってくる人が怖かった。誰が敵で誰が味方か分からなかったからだ。父親ですら本心が掴めず、私は、私の存在もミレイのことも知らない異国に自分の居場所を求めた。

皮肉だ。居場所を求めたこの国の王妃代理になって…けれど結局私の居場所はここにはなくて。まあ当然だけど。陛下の隣は私の居場所じゃない。自国に戻った私はどうなるのだろう。

ーフウ。

ふと、優しい声が響いた。もちろん夢の中だ。私の深層心理が望むものだと思う。だって私の名前を知ってる人間なんてほとんどいないのだから。

でもどこかこの声を懐かしく感じるのはなぜだろう。聴いていると涙が溢れそうになるのはなぜだろう。

…もしかしたら私はー。


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