夢が醒めなくて
「せやから、ね?希和子ちゃんも観に行くやろ?」
義人氏の、「ね?」が、私に向けられたことに気づき、顔を上げた。

……何の話か聞いてなかった。
私は曖昧な表情で首を傾げた。

じっと義人氏の瞳が私を捉える。
私が何を考え、どう感じてるかを推し量ろうとしている。
だから、このヒトは苦手だ。

他のヒトなら、一歩下がって興味なさそうにしてたら、私の存在なんかきれいに忘れるか、あるいは無視してくれるのに。

義人氏だけは、必ず最後に私にも話を振る。
ヒトの話をあまり聞いてないことが多い私は、毎度毎度あせらされてしまう。

「五山見えるん?」
啓也くんの問いで、大文字の送り火ことだとわかった。

「五山は、見えるな。鳥居は見えへんけど。」
義人氏がそう請け合うと、美幸ちゃんはキャッキャとはしゃいだ。

たいして楽しみでなくても、すごく楽しみにしてるように見せることが、誘ってくれたヒトに対する礼儀だと美幸ちゃんは言う。
わかるような気はするけど、あざとくて、私にはできそうにない。

義人氏が再び私の意志を確認するかのように首を傾げて私を見た。
よくわからないけれど、私はうなずいた。

……百聞は一見に如かず、という。
読書で得られない感銘を受けられるなら、時間の無駄にはならないだろう。

何がうれしいんだか、目に見えて上機嫌な義人氏から目をそらして、こっそりため息をついた。



「浴衣で行きたい!」
お風呂の中で、美幸ちゃんがそう言い出した。

「……また、足、下駄の鼻緒で皮むけるで?」
照美ちゃんの言う通りだ。

うちの施設には、古着だけど、浴衣や着物のストックがけっこうある。
古参の先生が、着付けの資格を持ってはるので、何かと着物を着せてくれようとする。
私も着物は好きだけど、草履や髪をまとめるのが嫌い。

「ママにウレタンの下駄買ってもらう。鼻緒も分厚くて柔らかいねんて。」
美幸ちゃんは、うきうきとそう言った。

……古い鼻緒は細くて硬くて、とにかく痛い。
「鼻緒だけ、すげ替えられへんかな。」

樋口一葉の「たけくらべ」を思い出した。
けっこう簡単にできそうだけど。

「希和ちゃん、また、作るの?マメ~。」
美幸ちゃんに、いつものように呆れられたけど、私は真剣に考えていた。

どうせ大文字の送り火を観に連れてってもらえるのなら、私も浴衣がいい。
でも、鼻緒ずれができるのは嫌だ。

今、私のお小遣いは毎月千円。
ほとんど使わず貯蓄してるから、自分の鼻緒ぐらいは買えると思うけど……うまくできそうなら、みんなの分もしてあげたい。

自作できそうなら、そのほうが安上がりだろう。
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