アルチュール・ド・リッシモン
4章 アルマニャック派

王太子ルイ

 フィリップ豪胆公が亡くなった翌年の1405年、ブルゴーニュ公ジャン無畏公は、軍事制圧に乗り出した。元々不仲であったオルレアン公ルイと、雌雄を決しようとしたのかもしれなかった。
 実際、2年後の1407年11月23日にオルレアン公は暗殺され、その犯人はブルゴーニュ公であると噂されたのだった。
 オルレアン公の暗殺により、その地位は息子のシャルルが継いだ。
 が、彼も暗殺を恐れ、アルマニャック伯ベルナール7世を頼ったのだった。
 そこでジアン同盟が結ばれ、ブルゴーニュ派と対立する「アルマニャック派」が結成されたのだった。

 この間、アルチュール達の後見となったベリー公ジャンは、お気に入りのアルチュールを王太子ルイに紹介していた。
 ルイ・ド・ギュイエンヌ。
 「狂王」シャルル6世の3人目の王太子で、この時まだ12歳であったが、ジャン無畏公の娘マルグリットと既に婚約していた。この時、マルグリットはまだ11歳であった。
 現在でも12歳の少年と11歳の少女といえば、少女の方が大人びて見える。この二人に関してもそれは同様で、しかもマルグリットの方が少しだけ背が高かった。
 だからなのか、3年後の1410年、15歳と14歳で結婚するのだが、妻であるはずのマルグリットはすぐに別の場所に送られてしまう程仲が悪かったらしい。

「殿下、宜しいのですか? 一度くらい、床をご一緒にされた方が宜しいのではありませんか? 一応、ご夫婦なのですから………」
 王太子ルイに幼い頃からつき従っている少年侍従のピエールがそう言うと、ルイはその端正な顔をしかめた。
 一口に「端正」と言っても、顔には白粉を塗り、唇にはうっすらと紅も刺し、今で言うと「女装」しているようにも見受けられた。
「良いのだ! 私は自分より背の高い女などに興味など湧かぬ!」
 彼はもう15歳だというのに、次々亡くなった兄達の代わりに王太子になったからか、非常にわがままで、言うことをきかないと癇癪を起した。
 今回もそのようであった。
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