桜の木の下に【完】

*健冶side*


「ヤバいな……」


あの蜘蛛と戦っていたが、気を付けていたつもりが蜘蛛の巣の糸に引っ掛かってしまった。

確か、蜘蛛の巣の糸って縦糸は粘りけがないはずだ。

その縦糸を伝って蜘蛛から逃げていたのに、気がついたら横糸を踏んでしまっていたらしい。

靴にネバネバとした粘液がまとわりつく。

ジタバタともがく俺に蜘蛛は容赦なく襲いかかってきた。

なんとかバランスを保って倒れないようにしていたからまだ腕は自由に使える。

氷の刀を振って蜘蛛を牽制した。


「クソッ」


蜘蛛の足の鋭い先が俺を貫こうと心臓を狙ってくる。

間一髪でそれを受け止め、力一杯刀をふるった。

蜘蛛の足が一本、彼方へと落ちていく。


『痛い……痛い……』


声が聞こえた。

見ると、蜘蛛が泣いていた。

複数の目からボロボロと大きな涙がこぼれ落ちている。


『痛い…足が…』


その声には聞き覚えがあった。


「神楽?神楽なのか?」

『足が…ない…』

「おい神楽!聞こえてるか!」

『足が…ない…!!』


蜘蛛はそう叫ぶと、また俺に襲いかかってきた。

今度は無茶苦茶に足の攻撃が飛んで来てまったく予測ができない。

それでも、避けたり受けたりしながら俺は呼び続けた。


「神楽!神楽なんだろ!」

『なんで…どうして…あたしは…』


ダメだ、全然俺の声が届いていない。

……それにしても、なんで神楽がここにいる?しかも蜘蛛なんかになってしまって。

元に戻れるのか?明月に利用されているだけなのか?

答えなんて出ないけど、今は自分の身を守るのに手一杯で考える余裕がなくなってきた。

倒れてたまるか!

いっそこの糸を切ってしまおうかとも考えたが、さっき切れた足が下に落ちていくのを見たからできなかった。

俺もあんな風に落ちていったとき、最後に何が待っているかわからない。

この蜘蛛の巣だって、白い空間にぽっかりと浮かぶ島のようなものだ。この巣が無かったら延々とただ落ちていただけだったろう。

すると、蜘蛛の猛追を防いでいたらまた足が一本折れた。

まっ逆さまに下に落ちていく。

そしてまた隙をついて足を切断した。


『あたしは…結局何もできない。明月に恐れをなして立ち向かえなかったし、前に出て庇うこともできなかった。観察してたなんてウソだ。腰が引けて動けなかっただけ……そのせいで負傷者が出てしまった。確かにのっちを護れって言われたけどその命令にあたしは背いた。毒に侵食された』


あのときの話か…と、俺は遠い昔のように思える戦いの記憶を呼び覚ます。


『二人の力不足を責めたけど、あたしにも非があった。あたしも自分の弱さを思い知った…でも、あたしの戦いはまだ終わってない。明月が消えるまで続くんだ』


俺はそのとき気がついた。

足が減ると饒舌になる。ということは、全部切断すれば蜘蛛に変化が出るのではないかと。

神楽に戻るのではないかと。

ならば、やることは一つ。


「俺は倒してみろ、神楽。俺たちよりも強いことを証明しろ」

『あたしは弱い…弱い…』


蜘蛛は俺の言葉を聞いたとたん、逃げるように後ろに下がっていった。

なぜ下がる?

蜘蛛は神楽に戻ることを嫌がっているのだろうか。

神楽は帰りたくないのだろうか。

どうすればいい、と唇を噛んだ。このままでは俺は動けないままで、神楽も逃げてしまう。


「おまえは強い子だ」


考えあぐねいていたとき、頭上から声が聞こえてきた。

見上げると、幹さんが蜘蛛の巣に降り立つ体勢にとっていた。


「幹さん!」

「すまないね、遅くなった。あとは任せて君は降りなさい」

「降りるんですか?」

「この蝶が君を導いてくれる」


幹さんが手のひらを広げると、黄色く光る蝶がひらひらと舞い上がった。

俺の目の前に来ると、刀の先にとまって羽をゆっくりと閉じたり開いたりした。


「神楽は俺が助けてみせるよ、必ず」


そう言った顔は、いつもの親として、保護者としての顔だった。

仕事をするときの鋭い目の面影はどこにもない。

それに安心した俺は納得して頷いてみせた後、素直に足に引っ付いている糸を切断した。

やはり、まっ逆さまに落ちていく。

上を見ると、幹さんが蜘蛛に向かって手をあげているところだった。その手には燃え盛る炎がゆらゆらと光っている。

幹さんは炎を扱える人だったのか。

くるりと身体を反転させて、蝶の行く方向を見据えた。

振り返る必要はもうないだろう。
< 80 / 122 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop