金曜日の恋奏曲(ラプソディ)


春めいた風はいよいよ落ち着つき、空に満ちる湿度の高い空気は、梅雨の到来が間もないことを告げていた。



私は、葉桜を時折叩く雨粒にさえ、ドキドキと高鳴る胸を抑えた。



りっちゃんとまたいつもの待ち合わせの約束をして、廊下の向こうに消えていく背中を見送る。



小さく深呼吸をした。



それからスクールバッグを担いで、図書室の方に向かう足はやはりだんだんとスピードをあげていく。



でも、前みたいに、気付いてスピードを落としはしない。



少し急いで息が荒がるくらいが調度良い気がした。




だって、そうすれば、図書室に近づくにつれ上がる心拍数は、あくまでも小走りしたがためのもの...。




階段を上って、渡り廊下を進んで、右に角を曲がれば、人気のないあの場所。



ドアノブに手をかけて、ゆっくりと開けるといつものあの音が響く。



「いらっしゃい。」


私に気付いた里見先生が、カウンターで読んでいた本から顔を上げていつもの笑顔を私に向ける。



私もいつものように、里見先生の笑顔が移って笑顔になった。



右肩にかけていたスクールバッグから、先週借りた本を取り出す。



「あの…ありがとうございました。凄く、凄く面白かったです。」



あの日、帰ってからこれまでにないくらいのスピードで、私はこの本を読み終えた。



それから、確かめるように何回も読み直した。



本当に面白い本というのは、伏線が綺麗に張られているから、2回目・3回目がより一層面白い。



そして、この時の「面白い」は、「fun」じゃなくて「interesting」なの。



なんだろう…その時だけ笑えるような「楽しい面白さ」じゃなくて、味わい深く心の奥に響くような「興味深さ」っていうのかな…。



もちろん「fun」の本も私は好きだけど、でもやっぱり誰かとその本の「interesting」を共有出来た時は一番、本好きとして嬉しい時。



だから、それを分かってくれて私にそういう本を教えてくれる里見先生が好きだし、そういうのを…須藤くんが分かってる人って知って嬉しかった…。



そんなことを考えていたら、里見先生が私を下からのぞき込むように見ていた。




「わあぁっ…!」



ビックリして本を取り落としそうになる私。



里見先生はそんな私に、またあのからかいの時のニヤニヤ笑顔で言った。



「何考えてたの?」



「な、なんでもないですよ。」



「え~…あの子の事じゃないの?」



意識しないように努めていたのに、その言葉にまたポポポポッと顔に熱が集まった。



里見先生がちょっと目を見開いて、それから一気にニヤニヤ笑顔が広がる。



「やっぱり~本当に分かりやすいんだから。」



ああ…もうっ…。私の表情筋の馬鹿素直っ…。



しかも、里見先生ってこの手のことに相当鋭いみたい。



「…先週何かあった?」



自分でも十分に分かりすぎるほどに、体が固まった。



またまたビンゴ~というようにニヤニヤする里見先生。




ああっ…ああっ…私の馬鹿素直さ加減は顔だけにとどまらないっ…。




俯いて、セーターの袖口を無意味に伸ばしたりした。



里見先生は興味深々という目で私を見てる。



どうしよう…。



若干の、ためらいがあった。



どうしても、何となくだけど、どうしても、あの空間のあの時間のことは、2人だけの秘密にしておきたい気がして…。



だから、りっちゃんにも言わなかったんだ。



…でも、里見先生は私と須藤くんのこと、前から知ってるし…。



本当は、少しどこかで今までただ見つめていただけの存在の人といきなり話すことになって心細く思う自分がいた。



だから、里見先生になら、相談しようかなって…。



私は顔を上げて、先週、初めて話しかけれたことを話した。



さすがに、その日の放課後泣いて帰ったことは言わなかったけど。



思っていたより、っていうのは失礼だけど、意外にも里見先生はニヤニヤしたりせずに、真剣に私の話を聞いてくれた。



「…って、全然大したことじゃないんですけどね。ただ少し話したっていうだけ…。」



って、私が笑って無意識に髪を手ぐしで整えた時も



「それでも、琴子ちゃんにとっては一大イベントだったんでしょう?十分大したことあるわよ。」


って、真面目な顔で言ってくれた。



里見先生のぶれない優しさに、目の奥がじわりと熱くなった。



それから、里見先生はそっと爆弾を投げた。






「…好きなの?」







一瞬の静寂。







そして、私は音を立てて爆発した。





「えぇっ大丈夫?」




里見先生が立ち上がって、崩れ落ちてカウンターに突っ伏した私に声をかけた。



「ごめんごめん、ちょっと立ち入りすぎたみたい!なんかあまりにも真剣な様子が可愛くなっちゃって気になってきちゃったの。」



「……です。」



私の小さな声に、里見先生が動きを止める。



「…え?」



私を見て聞き返す。



私は、もう一度、小さくても聞こえるくらいの声で言った。




「…分からないんです…。」




ストン、と里見先生がカウンターの向こうの椅子に腰を下ろした気配がした。



私はためらいながらも口を開いた。



「…最初は、恋とは違うって思ってたんです。見てるだけで十分って。
でも…いざ話してみたら、もっと…」






どんな風に笑うのかな。



どんなものが好きなのかな。



どんなものを見てるのかな。



どんなものを大切にするのかな。




1つ知ったら他も知りたくて。



知りたくて知りたくて。



気になっては、何も知らない自分に気付いて。





でも、それが苦しいと同時に、まだそんなに知らないという、その距離感を大切にしたい自分もいて。










「…分からない…。」


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