専務と心中!
「そうします。私、もう、バック踏みません。……椎木尾さんのこと、教えてくださって、ありがとうございます。生きて、どこかでその女性と高笑いしてはる、って思っておきます。」

中沢さんにも、ホームレスのおじさんにも私の意図は伝わったけど、専務だけよくわからなかったらしい。

2人を見送ってから、聞かれた。

「バック踏む、って、どういう意味?競輪用語なんだろうけど。」

「うん。正解。……ほら、競技用の自転車にはブレーキがついてないからね、止まりたい時は、足の回転を止めるというよりは、前後逆に漕ぐ感覚なんだって。それが、バック踏む。レースの中で位置を争ってる時とかに、嫌でもバック踏まされることがあったりするのよ。」

そう説明すると、専務は少し頬をふくらませた。

「心外だな。いつ、にほちゃんは、躊躇したんだ?俺はこんなに迷いがないのに。」

……子供みたいよ、専務。

「そりゃあね、椎木尾さんに対する罪悪感も生じたし、両親に心配かけてるのもつらいし、……専務と社長が、ご自宅に帰らせてもらえないってのも、私的には胸に刺さったで。」

そう言ったら、専務は至極真面目にうなずいた。

「本当に。にほちゃんのご両親の心を推し量ると、たまらないよ。あんな嘘ばっかりの酷い報道されて。」

……はは……まあ、それも、私の過去の浮かれた行状の報いなんだわ、たぶん。
気恥ずかしくて、私は黙ってうつむいた。

「聡は、イイ子だ。頭もいい。何が真実で、何が嘘かなんか、すぐ見抜かれるから。そのままのにほちゃんでいてくれたら、仲良くなれるよ。」

専務は相変わらず楽観的にそうのたまった。



しばらくして、薫が帰宅した。

「外に誰も張ってないし、大丈夫だと思うけど……念のため、ぐっちーは、俺のジャージに着替えてください。キャップも。」
「ありがとう。お言葉に甘えさせてもらうよ。すまないね。」

専務はそう言って、似合わない派手なジャージとキャップに身をやつした。

「それから、におの実家周辺は、目つきの悪いのが何人かいるみたい。当分、詰めてるつもりかな。」

え!?

「そうなの?……じゃあ、専務、うちの両親に逢いに行くのは、やっぱりやめましょう。」
「いーやーだ。絶対行く。なんなら、俺だけでも行ってくる。」

駄々っ子のような専務に、薫が笑った。

「じゃあ、ノーマークの場所で落ち合いましょう。」
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