二十年目の初恋
事件 4
「きょうはありがとう。君のように美しい秘書を連れていると羨望の眼差しが痛いくらいで、こんなに気分の良いことはない」

 だったら……。

 お金に物を言わせて、夜の銀座の美しいお姉さま方をたくさん引き連れて、お歩きになったらいかが? その方が、お似合いかと存じますけど……。と言いたかった。けど、止めた。

「さっき一緒に食事をした、K大学の理事長が連れていたのは秘書でもあるが、彼の公然の愛人なんだよ」

「えっ? あんなに聡明な方が愛人ですか?」

「そうだよ。もう随分長いこと、彼の世話になっているはずだよ」

「…………」

 信じられない。笑顔の素敵な知的で美しい人だったのに……。

「まぁ、そういうことは、いくらでもある話だがね」


 冗談じゃない。仮にも、大学、高校……。人を教育する仕事に携わってる人間がなんてことを……。世の中、狂ってるとしか思えない。

 学生たちから高い学費を取って、それが廻りまわって愛人を囲うために使われているなんて……。

 なんだか頭がクラクラしてきた。

「ところで君が最近、離婚をしたという噂を聞いたんだが本当かね?」

「そんなことまで、お耳に入るんですか?」

「そういうことは、特に早く伝わるものなんだよ。私も二年前に離婚しているから……。君の寂しさは分かるつもりなんだがね」

「別に寂しくはありません。信頼出来ない人と無理に一緒に居るよりも精神衛生上も快適に過ごしております」

「今夜、ホテルに部屋を取ってある。私がいくらでも慰めてあげられるんだが……」

 理事長は私を見ずにそう言った。

「お気遣い、ありがとうございます。そういうことでしたら理事長のお手を煩わせる必要もございませんので」

 私は目の前に置かれたカシスオレンジを飲み干し

「それでは、お先に失礼致します。ごちそうさまでした」

 理事長の顔も見ずに席を立ってバーを出た。


 ありえない。最低、最悪。お腹の中が煮え繰り返って……。

 最上階から一階に下りる間、噂が真実なのを実感し、冷静になろうと努力した。そしてエレベーターを降りてホテルの玄関に出てタクシーに乗った。


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