年下ワンコを飼ってます
 ペースが乱される。昼間から、健人が変だ。あんなに似合わなかったスーツが似合い始めている。そんなのおかしい。
 綾乃の部屋の前で、ドアを背にして健人が立っている。健人は小さくため息をついた。自分は何かしてしまったのだろうかと考えながら。

「…綾乃ちゃん。」
「なに?」
「俺、何かしちゃった?」
「…しちゃってない。多分。」
「多分って何?」
「わかんない。今日の健人は変にかっこいいから焦る。いつものに戻って。」
「いつものっていつものなんだけど。特に何も…。」
「…わかった、じゃあ。」

 綾乃は部屋のドアを開けた。ゆっくりと健人との距離を保つ。

「近付かないで。今日は1メートル離れて。」
「この家で1メートルも離れてたら、ほとんど喋れないよ!就活頑張ってきたのにそんなの嫌なんですけど!」
「…待って、平常心取り戻すから。」
「…綾乃ちゃん。」
「なに?」

 ぐいっと腕をひかれて、またしても健人の胸の中に逆戻りだ。

「もしかして、照れてる?」
「な、何が。」
「結婚のこととか、かっこいい俺とか?いや、なにがどうなってかっこいいのかはわかんないけど、かっこいいってあんまり言われないから嬉しいし。」

 ぼっと顔が熱くなる。待て待て自分。そんなに乙女が許される年じゃない。やめてくれ、顔。落ち着いてくれ、心臓。心の中で怒鳴りつけても、反比例するかのように顔は熱くなるし、心臓の鼓動は速さを増して鳴り響く。

「図星だぁ!うわー…待って。ちょっと想像以上に嬉しいから…。」

 ぎゅっと強まる健人の腕。身動きが取れないが、顔を覗き込まれないだけマシだ。

「…健人放し…。」
「無理!嫌だ!もっとドキドキして。たまには。」

 低い声で囁くスキルなんてもっていなかったくせに、こんなときに発動するなんて卑怯以外の何物でもない。
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