Dear Mr.サイコパス
混沌-2
(ヘビースモーカーもここまでくると、もはや病気だな...)

気だるい気分で自分のデスクの椅子に腰を下ろす。嫌煙家の桂にとって、なにかに集中している時以外の、たばこを眺めているだけの時間は不快でしかなかった。これが日常として毎日繰り返されてきた2年間、その決して短くない時間も、桂のその小さな神経質を弱化してくれることはなかった。
威圧した訳では無いが、後輩にあたる石田の口元のくわえタバコを何の気なしにぼーっと注視していた。今朝の煙は二日酔いの彼の目と脳に、余計に沁みた。

「おい桂、聞いてんのか?」

田原が朝刊から、顔を上げて尋ねた。

「あー。...何の話でしたっけ」

何の話でもいい、桂はとにかくだれにも話しかけて欲しくなかった。昨晩呑み過ぎたことを強烈に後悔していた。
その理解ある先輩探偵は、年下の同僚のぶっきらぼうな返答に小言をこぼすでもなく顔をしかめ舌打ちを聞かせただけだった。

「住之江の、ですよね?確か昨晩にまた遺体の一部が見つかったとか」

パソコンのキーボードを叩く指を止めずに、石田が代わりに答える。

「そうそう。そうやねんけど...その他は?」

石田が首を横に振る。

「深夜に見つかった、ということぐらいしか。」

書記を雇っていない現在、使いっぱしりも兼ねこき使われている新米探偵はあからさまに興味を示さず答える。そんなワイドショーで取り上げられるような事件よりも、今この田原探偵事務所の抱えるA社の社長の不倫捜査に集中してくれ、といわんばかりだ。

「その見つかった遺体の一部っていうのは指なんやけど」

田原はそんなことはお構い無しに続ける。

「10本の指が順番にきっちりと並べられて置かれてた。しかも道の真ん中や。人通りがそこまで少なくない道ってところと、前と同じように血が綺麗に洗い流されてたことから前回の深川の事件と犯人は同一人物ってことは誰にもわかるわな。」

「切った指を洗うってのは、そんなにも珍しいことでもないですよね?」
ようやくここでデスクトップから顔を上げた新米は訝しげな顔で聞く。

「問題は洗う目的や」

本人は気づかなかったが田原が大きく煙をフーッと吐いた時、桂をまた不機嫌にさせた。

「普通は、殺人の証拠をできる限り残したくないことを理由に血を洗い流したり、殺した人間の血を見ることで罪悪感に苛まれるのが嫌で水ですすぐもんや。
ところが、この犯人の洗い方は、時間をかけて完全に血を抜いとるらしい。ナトリウムが多く検出されてるところから、調味料の塩も使ってることもわかってる。料理人が料理のために下処理するのによう似とる。ここまで狂った人間は時代時代に稀に出てくるけどな」

その狂気さゆえか、無精髭が目立つベテラン探偵はばつが悪そうに新聞を畳んで机に放った。

「前見つかったのは左右の耳、でしたよね?確か...推定年齢20代前半の女性の」

桂は石田のくわえるたばこから立ち上る煙をぼんやり見つめながら、それとなくその会話を聞いていた。

「もう一つ回っとる情報は、その指の爪や。見事に...一枚残らず綺麗に剥がされとったらしい。」

桂は、ゆっくりと回る換気扇に目を移し、現場を思い描いていた。それとなく顎を触ってしまうのは真剣に深く考え込む際の彼の癖だ。それを横目に捉えながら石田が尋ねる。

「いわゆる...猟奇的な殺人...ですかね?」
「その線が濃いやろうな。指切るにせよ、爪剥がすにせよ...殺された後にされたんやったらホトケさんも救われるんやが...情けをかけるような奴でも無さそうや」
「まだ、すでに死んだって決まったわけじゃないでしょ。本当に“猟奇的”な事件なら、犯人だって“猟奇的”だと思うが」

桂が独り言のようにつぶやいた。

「どういうことですか?」

ようやく口を開いた先輩を、意図的に会話に参加させるように尋ねる。桂が自分の考えをさらけ出すことを好まない性格だということは石田にはわかっていたが、カンの鋭さと優れた観察眼を長所とし、その無愛想さと口下手さを短所とする不器用な先輩を立てる、石田なりの気遣いだった。

「例えば...全ての生き物ってのは基本的には防衛本能を持つ。人間が自殺しようと用意しても、死の恐怖ゆえ最後の最後に踏み切れずに思いとどまる人だって少なくないはずだ。たとえその自殺の意志が強固なものだったとしても恐怖が勝つこともある。でもそれが生き物としてマトモってことだろ。
本当に精神的な異常を極めた殺人鬼ってのは“生”にも“死”にも興味を示さない。そもそも生死を二元的に、考えなかったりする。」
「何が言いたい?もっと端的に話せ」
田原はたばこの火種を潰しながら尋ねる。

「情け、とかその次元では考えてないってことですよ。相手が死のうが生きようが目の前で痛みを感じてようが、自分には全く関係がないと信じて疑わない」

「我々には到底理解の及ばない考え方ですね...」

石田が眼鏡を外しながら答えた。ノートパソコンを閉じ、背もたれに深く体を倒し目を閉じた。

「しかし」

その体勢のまま大きく息を吸った。

「そうなってくると殺人の動機ってのは個人の恨みつらみなどではなくなってきますよね?人殺しの衝動に駆り立てるその原因ってなんだと思いますか?」

「三歳の男の子がアリを踏み潰すことに明確な理由があると思うか?」

田原は嘲るように笑い、空になったたばこの箱をゴミ箱に投げ捨てた。

「理由はあるさ」

そう呟きながら桂は立ち上がった。

「自分が動き、その結果を見たい稚拙で単純な好奇心がその理由になり得る時もある」

煙のせいか、二日酔いのせいかは分からなかったが酷い立ちくらみを感じた。酔い止めとしてのコーヒーを買いに行こうと、愛用のトレンチコートを羽織った。事務所の外に出ると、妙に静かに降る小雨が耳障りだった。
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