ディスオーダーⅡ【短編集】
「ちょ……え、なに、これ?! ……太郎? え、どういうこと?! どうして私……えっ、天使っ?!」


 辺りをキョロキョロと見渡しながら、ひとり、パニックになっている彼女。僕も最初は驚いたけれど、彼女ほどじゃなかったなぁ……。

 ぼんやりとそんなことを考えながら彼女を見上げていると、彼女を吊り下げているロープが伸びて、どんどん下へと降りてきていることに気が付いた。

 それは彼女も同じなようで、自分の足下を見て顔色を青くさせた。


「やだ!やだやだやだ!なに?! 水? 毒?! 怖い!きもい!太郎!見てないで助けて!」


 キーキー叫んでいる彼女。僕は動かず、心も動かされず、ただ降りていく彼女を見つめ続ける。

 そして、足を曲げたりする努力もむなしく、彼女の足が沼に触れた。


「ひぃ?!」


 熱いとか、痛いとかは無いらしく、彼女はただひたすらに「やめて」と叫ぶだけだったが……。

 彼女のふともも、腰、胸元、首元と沼に沈んで見えなくなっていき、やがて、うるさい口をふさぐように頭まですっぽりと沈んでいった。

 彼女はやがて息ができなくなって死ぬだろう。僕はそれを望んでいた。だから、今の僕には“嬉しさ”しかない。


「キミ、これからどうする?」


 天使の問いに、僕は答える。


「さぁね?」


 彼女が沈んでいった沼を、思い切り踏みしめながら。

 人間は常に前を見つめ、時折空を見上げながら生きていく生き物だから、足元なんて見ないのさ。そう、気にも掛けない。

 僕は“そこ”に彼女がいる事実を、“見てみぬふり”したんだ。

 だって、そこにあるのはただの毒々しい色をした沼だから、さ。人間なんて埋まっているわけがないんだ。


 ――あれ?

 ところで僕は、どうしてこんなにも嬉しいんだっけか?


END.
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