松林B長日記2015

(体験発表)40年目の真実

私は去年の3月に入信40年目を迎えました。その間交通事故4回。
離婚1回。倒産2回。それでもご本尊様だけは疑うことなく
お題目をあげ続け、折伏は少ないですが8世帯。去年は孫二人に
御授戒させることができました!

さて来年3月が入信40年目というおとどしの夏に、
19年間営業してきたシネマ村のテナントを突然撤収するようにと
宣告を受けました。売り上げは今一つで後継者もなく、
リニューアルの話もなかったので覚悟はしておりましたが
二年前とは大違いでいくら食い下がってもだめでした。

そこでまずお題目をあげ、誰とは申しませんが中堅幹部の方に
指導を受けに行きました。私としては手塩にかけてきた京都特産
北山杉の抜き表札、糸鋸で細かく切り抜く芸術品ですが、
かなりシネマ村名物として浸透してきたと思っておりましたが、
それを推し進めるための激励を望んでいたのですが、

もろにその目論見を見透かされ、ぼろくそに言い放たれました。
『北山杉なんかいくらでもそこらへんに転がってますやん。
執着を捨ててゼロからやり直しなはれ』

くそっと思いながら帰ってすぐめちゃくちゃお題目をあげました。
1時間2時間3時間。すると「そうかもしれん」と素直に思えて
くる自分に驚きました。

人の言うことを一切聞かず、がむしゃらに今までやってきた自分
でしたが、嫁はんも息子も同じようなことを言ってました。
『あほ、北山杉除いたらわしに一体何が残るんや!』
とその時は思いもしませんでした。

年が明けて去年の1月16日に完全にシネマ村を撤収しました。
お題目のおかげで表向きは穏やかに、村のえらいさんたち
に『ほんとに長い間お世話になりました』と頭を下げることが
できました。

嫁はんは今までのコネでさっさと次の仕事を見つけ撮影所の
会館の清掃の仕事を始めました。私はハローワークに通う
日々が続きます。65歳を過ぎるとなかなか仕事はありません。
年齢不問というのは嘘だと思います!

仕事が見つからぬまま40周年の日を迎えました。
3.16記念の地区座談会で
『つぎの地区座までには必ず実証を示します』
と宣言いたしました。

と、その三日後のことです。シルバー人材センターへの登録を
済ませた帰り道。ケータイが鳴ります。
『松林さん今何してはります?昔世話になったMです』

すぐには思いつきませんでしたが。『あーあのM君か』
と答えました。

『2年前から京北で木工所を立ち上げ、やっと軌道に乗ってきました。
和装デザインの檜のパネル1000枚を6月までに切り抜かな
あかんのですが、切る人がいません!お金は何ぼでも出します
から今すぐにでも来てください!できたばかりの京北トンネルを
左に入ったところです』と叫ぶではありませんか!

ほんまかいなそうかいなと驚きつつ『わかった、明日行くわ』
と返事しました。何ぼでも出すやなんて嘘やろう。
やはりウソでした。とりあえず時給1000円から。

それからは毎日切って切って切りまくり何と3か月の所を
2か月で切り終えました。

今広島の全日空ホテルの結婚式場、15mアーチパネルは、
木漏れ日チャペルという名で業界紙に取り上げられていますが、
これは私の作品です。

ところが魔は天界に住む。少し有頂天になってました。
早く切りすぎて次の仕事が無くなりました。その時また
ケータイが鳴りました。シルバー人材センターからです。

『花園駐輪場の空きができました。定期券発行のため、
パソコンレジ打てますか?』
『はいはい、なんでもやります!』と週三日が決まりました。

京北のM社長も私の実力を高く評価し、なんとかこいつを
つなぎとめとかなあかんと思ったのでしょうか?行灯パネルの
仕事を作ってくれました。週三日ほど、好きな時に好きな時間
だけ来て切ってくださいとのこと。ありがたいことです。

というわけで秋口から花園駅と京北とを行ったり来たり
になりました。これでやっと落ち着いたかに見えました、
が悪い噂が立ちました。シルバーが初めて入札に失敗した
らしいとのことでした。それは事実ですぐに説明会が開かれ、
来年三月末をもって全員解雇が言い渡されました。

なんやこれ?て感じでしたが、さらにお題目は上がります。
すると!ふしぎですねー!
これを奇跡と言わずして何と言いましょう!

撮影所の夜勤のおじさん、20数年勤めておられた方が老齢
のため年内で退職。若社長から嫁さんに『お父さんはどうやろう?』
と声をかけられました。そこで京北を少し休んで撮影所の夜勤の
仕事の引継ぎに通いました。

夜勤はもう一人のおじさんと交代で午後三時から俳優さんの控室など
90部屋を火の元を確認し戸締りをして回ります。
撮影がなければ8時ごろには帰れますということでしたが、
初日は11時、二日目午前1時、三日目は午前3時。

若社長は「こういうことはめったにないんですが」と心配顔でしたが、
年が明けてこの元旦から正式に採用になりました!

その元旦は大雪。夫婦ともども役者会館の4階から雪を眺めながら
しみじみとこの一年を振り返りました。

『信心していてよかったなあ。あの中堅幹部に指導を受けて
ほんとによかった。こんな人たちがいっぱいいる学会員で
ほんとによかった。何でもないようなことが幸せや。
親子3人、息子はシネマ村、同じ敷地の中で働けるなんて幸せや。
しかも定年がないこの仕事世のため人のため何よりもかわいい
孫達のために頑張ろう』と夫婦誓い合いました。

そして地方選の戦い。京北で2枚。駐輪場で2枚。
なんやかやで11枚のMハガキを書いてもらうことができました!

すると奇跡は続きます。この3月24日に最大希望の
常盤府営住宅3DK、倍率30倍を、4回目1年目にして
見事当選いたしました!

さらに週3日の京北を再開。今何を切っているのかと言いますと、
これは企業秘密で詳細は言えませんが、何とかという世界一の
大金持ちの別荘、軽井沢にできるそうなんですが、その別荘の
日本式庭園回廊パネルの1部をいま切りまくっています!

御書に『われ並びにわが弟子諸難ありとも疑う心無くば
自然じねんに仏界に至るべし。天の加護無き事を疑わざれ。
現世の安穏ならざることを嘆かざれ』とあります。

何が起ころうと疑うことなく、嘆くことなく、
お題目をあげ通せば必ず必ず道は開ける。
これが入信40年目の私の真実でした。

そして今この地区の地区部長兼任の副支部長として
任命を受け新たなる戦いを開始いたしました!以上です。
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