彼は誰時のブルース
「宇野くん」
ついに声を掛けた。
彼が団地に入ろうとした瞬間だった。
話し掛けられるとは、宇野は思ってなかったんじゃないか。けれど彼は、特に驚く様子もなく足を止めた。
顔だけ私の方に向けて、「なに」と返す。無機質な声だった。冷たく感じた。
「話したいことがあるんだ…けど」
距離を保ったまま、少し上ずった声のまま、私はそう訊いた。
彼は一呼吸すると、私の方へ身体ごと振り返った。
「どうぞ」
頭を軽くかいて、片足に体重を掛けて肩をすくめた。
「昨日……向田蓮が、宇野くんに電話したよね」
宇野は、考えるように上を向いた。記憶を辿っているように見せて、なんて答えようか言葉を選んでいるのかもしれない。
少しして俯くと、大袈裟にため息をつく。そして顔を上げると宇野は、口を開いた。
「さあ」
「……え?」
動揺する私を宇野は鼻で笑った。
「だって俺、携帯持ってないもん」
しらばっくれる宇野に、どう切り返せばいいのか分からなかった。宇野が気怠そうにリュックをかけ直す。早く帰りたいという仕草に思えた。
「つかなんで俺に聞くの。向田本人に聞けば良くない?」
と、首を捻るその仕草はどこか私を小馬鹿にしているように思えた。今謝ったところで、煙に巻かれるだけ。
携帯じゃないなら、家電は?
聞けば、宇野は肯定するだろうか?
否定される気がする。宇野にも見栄や面子があるはずだ。私みたいな目立たない同級生まで虐めがあることを、認知されたくないのか。だから話すことすら拒絶するのか。
「……この”間”ってなに?」
宇野は痺れを切らしたかのように、から笑いをする。そして右手で片目を覆うと、舌打ちとともに「どいつもこいつも…」と呟いた。
その言動に、顔が熱くなった。
私はその、どいつもこいつも、の括りに入れられたのか。一体なんの部類だろう。
話す価値もないって、そういう括りに入れられたのか、私は。拳を握り締めた。
「もう…いいよな」
宇野が背を向けて、団地のエントランスに入ろうとする。その後ろ姿に、急き立てられるように思わず声が出た。
「逃げないで」
ピタ、と宇野の足が止まった。
ゴクリと喉を鳴らした。なんて挑戦的な言い方なんだ。言葉を間違えた。
宇野は踵を返すと、ポケットに手を突っ込んだまま、ツカツカと私の方へ歩いてきた。一歩後退する私のすぐ近くへ来ると、彼は足を止めた。
そして、
「……誰に向かって口聞いてんだよ」
と、低い声で言った。