キミはまぼろしの婚約者
彼女の気持ちをこれ以上知ったら、俺も抑えられなくなるかもしれない。

だから突き返せばいいのに、それができない俺は、手紙を受け取ってしまった。

階段を下り始めたキョウは、足を止めて俺を振り返る。


「律の事情は何もわかんねぇけど、これだけは言っとくわ」


手紙から彼に目をやると、無愛想だけど優しい瞳が俺を見上げている。


「お前が考える小夜の幸せと、アイツが考える幸せとでは、きっとズレてんだと思うよ。そこを一緒にするのが最良なんじゃねーかな」


──盲目だった部分をつつかれて、少しはっとした。

俺は、自分と関わらせないことが彼女のためだと、ずっと思っていた。

けれど、それは本当に彼女にとって幸せなのか。

新たな疑問が生まれる俺に、キョウは「じゃーな」と柔らかい口調で言い、階段を下りていった。


錆び付いて動かない心に、ほんの少しの油が垂らされたような感覚。

それが動き出したら、きっともう止められない。

しかし。


「……くそ……っ」


手紙を持つ右手が奮え出すのを見ると、また気持ちは後退してしまう。


不安定な自分が嫌だ。

大切な人達を悩ませてばかりの自分は、もっと嫌だ──。


< 122 / 197 >

この作品をシェア

pagetop