キミはまぼろしの婚約者
下の階から、がやがやと声が響く中、私達の間には沈黙が流れる。

ドクドクとうるさい鼓動を感じながら視線を絡ませていると、ふいに彼の手が視界に入ってきた。

その指の外側が私の頬にわずかに触れ、そのまま滑るように私の髪をかき上げる。

ビクッと肩を震わせて、同時に壁から手を離した。


な、なに……?

今彼が何を考えているのか、まったくわからない。

けれど、触れる手にも瞳にも、なんだか熱い情みたいなものがあるように感じて、勝手に胸が高鳴ってしまう。


「り、つ……?」


私達だけが別世界にいるような感覚に陥っていると、彼の形の良い唇が小さく動く。


「……そんなふうに頼まれたら断れない」

「えっ?」


“断れない”ってことは……。

期待を膨らませて律を見つめると、彼は“仕方ない”と言うような笑みを浮かべて頷いた。


「いいよ。付き合ってあげる」

「……ほんとに!? 今度の土曜日でもいい!?」

「たぶん大丈夫」


よかった……やっと約束を取り付けられた!

それだけですごく喜んでしまって、笑顔の下に律がどんな想いを隠しているのか、この時私は考えもしなかった。




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