天の神様の言う通り
心に届く想い
 ふわりふわりとぎこちなく、冴子は空中を歩いていた。
 空を飛ぶことなど、もちろん初体験の冴子には、上手な飛び方などわからない。悩んだ末、地上と同じ前進方法『歩く』が、一番しっくりしたのだ。
 風と雪が着物や髪を激しく乱す。
 それなのに全く寒くない。吹き飛ばされることもない。慶の守護のおかげなのだろう。触れられた額が未だに暖かかった。
 成功すれば、二つの家族を救うことができる。
 慶の家族。彼らは血縁者同志という訳ではないが、ここで過ごすうち、冴子の目には立派な家族に見えていた。
 雪神様だとて、褒められた人物だとは、既に思えなくなっていたものの、赤ん坊のために、怒り任せに人を殺めるような激情的な奥さんの説得に奮闘しているという。彼らはきっと、これからの家族。
 冴子にとって、家族とは父のことだった。
 尊敬できる人だった。
 医者という職業の父。世間的に見れば、ただの村医者に過ぎないのかもしれない。
 しかし、父と歩けば誰もが気にも止めない道端の草が、命を救う薬となる。父が救った命が確かにあった。
 父に対する執着が強すぎる自覚はあるが、冴子にとって父との生活こそ守るべきものであり、家庭だった。
 けれど、父を失い、今は一人。天涯孤独の身。
 そんな冴子だからこそ、彼らが家族を失う姿を見たくなかった。失う悲しみがわかるから。
 冴子なら、もう誰もいない。
 悲しむ相手も悲しませる相手も、もういないから。
 だから、この中で、もし犠牲者が出るなら自分が適任だ。
 言えば反対されると口には出さなかったが。
 『もしここで、命を落としたとしても、それは悪い終わり方じゃない』
 白い物体が冴子の頭を掠める。
 赤ん坊の振り回す手がすぐ側にあった。
 冴子は、唾を飲み込んだ。体が固まった。
 「大丈夫だ。お前には届かない。それに援護する」
 場違いな程、落ち着いた声。慶は冴子より年下だが、偉そうで生意気なだけの少年じゃない。皆の『主』だと認識する、十分な貫禄を見せられた気がした。
 「冴子!」
 風月の心配気な声がする。
 「大丈夫!」
 周囲で起こる攻防も気にしない。冴子はただ、前に進んだ。
 「赤ちゃん」
 目の前にいる赤ん坊の瞳は白濁していた。見えていないのかもしれない。頬は遠目で見た時より痛々しく、涙に焼け血が滲んでいた。顔も汚れ、全裸。その体にも汚れや擦り傷がある。
 巨大な子だ。顔も、怖い。
 けれど、冴子の胸には悲しみがあった。母親の影響だろうか、よしよしと背中を擦り、抱き上げあやしてあげたい。
 冴子の想いを感じ取ったように、自身の指の隙間から光が洩れていることに気づいた。手に持った琥珀色の玉が金色に輝いていた。
 冴子は、誰に教わった訳でもないが、腕を精一杯伸ばし、玉をかざす。
 赤ん坊に見えるように。
 赤ん坊の顔がひどくゆっくり傾いだ。光を見た。光の根源を探し、手が伸びる。手の平が開かれる。
 何をされるのかわかったが、冴子は驚かなかった。
 結界の膜を抜け、赤ん坊の手が冴子の体を一掴みにした。
 怖くなどなかった。
 赤ん坊を見つめる。
 光が溢れた。
 眩しくはない。木漏れ日のように。ただただ、暖かい光だった。
 赤ん坊の白濁した目に、瞳が戻る。雪解け水のような澄んだ水色。
 それが、最後。
 冴子は赤ん坊共々、光の渦に飲まれ、意識を手放していた。
 穏やかに微睡むように。
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