天の神様の言う通り
 暖かな光に、冴子は目を細めた。
 膝の上では、赤ん坊が眠っている。小さい姿に戻った風月が、強引に膝に残った少しの隙間に頭を乗せ、やはり寝息を立てていた。
 『なんだか、一度に二人も子供ができたみたい』
 そう思うが、まんざらでもなかった。
 赤ん坊は首から下げたお守りを小さな手で握っている。中には琥珀色の玉が入っていた。
 冴子が目覚めると、あの日、騒動を起こした赤ん坊は、普通の赤ん坊の大きさに戻っていたという。姿ばかりではない。感情が昂る際に多少、雪をちらつかせたりはするものの、あの大暴れが今では幻だったかのように、今では落ち着いていた。
 父親である雪神は、未だ奥さんの説得に苦戦しており、結果、赤ん坊の身は当分は慶に委ねらることとなった。
 「雪神め! この借りは俺が生きてる間、一生返してもらうからな!」
 慶は、そう怒鳴りながら雪神との話し合いから帰って来た。
 今では専ら冴子が、雪神の赤ん坊の世話をしている。強制された訳ではない。面付きに任せようとしていたところを志願したのだ。
 「六花は寝たのか?」
 背後からふいに声がかかる。
 六花とは、赤ん坊の名前。雪神から聞き判明した。死んだ母親が付けたのだという。
 首だけ振り返ると、慶が立っていた。その後ろには、花鳥。そのまた後ろに馬と牛の面付きがいた。
 騒動の後、冴子が一番驚いたことといえば彼らのこと。なんと彼らの声が聞こえるようになったのだ。話せないと思っていた。
 『ああ、それは慶が許可したからだよー。冴子ちゃん認められた証拠だよ』
 花鳥の説明によると、どうやら騒動の中、風月が施した術のおかげらしい。
 慶は冴子の傍に歩み寄る。その眉間に皺が刻まれた。
 「なんで、お前まで、寝てるんだ!」
 言うが早いか、風月の頭に拳骨を落とそうとした……が、風月は、それをさっとかわした。
 「ひどいよ、慶」
 「甘えるな!」
 慶は冴子を睨む。
 「お前も! こいつの正体は見ただろが! 子供扱いするな!」
 そうは言われても……。
 風月の正体を知り最初こそ戸惑ったが、小さかろうと大きかろうと風月の冴子に対する態度は全く変わらない。こちらばかり意識するのも逆に変な気がして、少なくとも子供姿の時は、すっかり元通りの対応に戻ってしまった。
 慶の怒りの声に、六花が眉をひそめた。
 冴子はこれ幸いとしーと、人差し指を立てる。
 六花は、口をむにゃむにゃさせ、再び穏やかな寝顔をした。
 「もー、慶は。大事な話があったんじゃないの?」
 花鳥が言う。
 「な、何かありましたか?」
 花鳥の言葉に、冴子は六花の腹を優しく叩きつつ、静かに尋ねた。
 「……」
 慶は冴子の横にしゃがんだ。
 そして、冴子が恥ずかしく思うほど、食い入るように見つめる。
 「……あの?」
 冴子は再度尋ねた。
 すると、慶は今度は自身が座る床に視線を落とす。
 「願い事」
 か細い声。冴子には聞き取れなかった。
 「あの、もう一度」
 慶は舌打ちし、だから、と呟く。
 「願い事だ。約束しただろ」
 「!」
 冴子の今、思い出しましたみたいな反応を、慶は訝しんだ。
 「……まさか、忘れてないよな?」
 冴子は慌てて首を振った。
 もちろん、忘れたわけではなかった。
 しかし、早く叶えてと焦れる訳でも、自分から言い出しにくかった訳でもなかった。
 なんとなく言われるまで、いいかなっといった感じ。それが近い。
 「聞いてやるから、言ってみろ」
 「あの、でも……神様の言葉は絶対なんじゃないんですか?」
 その言葉に、冴子の願いを確信したのだろう。慶は俯いたまま答えた。
 「叶えると言ったら叶える。それに、今なら雪神が味方してくれるのは確実だからな」
 「フギャー!」
 六花が目を覚まし泣き出した。
 「よしよし」
 冴子は、六花の体を抱き上げ揺する。揺すりながら、見回した。
 風月は不安気に冴子の着物の裾を握っていた。
 花鳥は彼にしては珍しく真摯な目をしていた。
 慶は顔をずっとこちらに向けていない。
 「……」
 誰も冴子をはっきりと引き止めることはしない。それが彼らの優しさだと、冴子にはわかっていた。
 来たばかりの頃ならわからなかった。
 けれど、今ならわかる。
 気づけば、もうすぐ半年。彼らにも様々な感情があり、ただ恐ろしいばかりではないと知ったから。
 「私の願いは」
 不思議な場所。冴子は場違いとしか言いようがない場所。
 けれど。
 「皆さんが良ければ、私も家族にしてくれませんか」
 慶が顔をあげた。まるで何を言われたかわからなかったような顔をして。
 「……あ、あれ、冴ちゃん? お家に帰りたいんじゃなかったの?」
 花鳥がやはり、慶と似たり寄ったりの顔で、おずおずと聞く。
 冴子は頷いた。
 「それは一度帰れれば助かります。何もかも放ったままですし、お世話になった方にも何も言ってませんし」
 少し嘘をついた。心の天秤の上に、帰りたいと思う気持ちはまだある。迷いがある。未練がある。
 しかし、それ以上にここにいたいと思う。
 冴子にとって、もうここの暮らしこそが日常だった。
 「その、妻とかは、まだ無理というか、考えられないんですけど……私には、もう家族はいません。だから、皆さんが新しい家族になって下されば、嬉しいな、と……」
 声が、尻窄みになる。言っているうちに、ひどく厚かましい気がして、恥ずかしくなってきたのだ。
 暫しの沈黙。六花の泣き声だけが、響いた。
 「……いいよ!」
 沈黙を破ったのは、風月だった。
 風月は叫ぶと勢いよく最初に抱きつく。冴子は慌てて、六花を上に持ちあげた。
 後方では、面付きの二人が万歳していた。
 「いやー、僕らてっきり冴ちゃんは帰りたいって言うと思ってたよー。良かった良かった。ね? 慶?」
 花鳥は気が抜けたように、息を吐いた。
 「……」
 慶は未だ固まったままだった。
 「もう、慶ってば、照れちゃって! 聞いてよ、冴ちゃん。慶なんて、すっかり弱気になっちゃって、なかなか言い出せなかったんだよー。すっかり、冴ちゃんに骨抜きだからさー……って、うわっ、痛い痛い! 死ぬって、慶!!」
 目にも止まらぬ早業とはこのこと。瞬時に立ち上がった慶が花鳥の首を絞めていた。同時に慶の顔がみるみる紅くなる。
 「やだなぁ、慶。僕は本当のこと、しか……」
 「……余計なことをしゃべるのは、この口か? あん? 本当に殺してやろうか?」
 慶は今度は花鳥の口をきつく押さえ、家鴨の嘴のようにすると、悪人も真っ青のドスの効いた声で脅す。
 「あの! 慶様」
 二人の微笑ましい(?)やり取りをもう少し見ていたい気もしたが、ここの主、肝心の慶の答えを聞いていない。
 慶は花鳥の口を離さぬまま、ちらりと冴子を見た。
 「……まぁ、その、それがお前の願いなら。叶えてやると約束したからな」
 「まらまら、ずなおじゃなびんだがばぁー」
 慶の言葉に、口を押さえられながらも花鳥が器用にツッコミを入れる。
 「慶も嬉しいんだよ」
 風月は冴子の耳に囁いた。
 二人の言葉に慶は叫んだ。
 「うるさい! うるさい!! 花鳥本当、お前いい加減にしろよ! それから、風月! お前もだ! 離れろ! それから、冴子!」
 「は、はい!」
 まさか自分まで呼ばれるとは思っておらず、すっかり傍観していた冴子は、反射的に返事をした。
 冴子の緊張する様子に、慶は舌打ちする。そして言うか言わまいか悩むように、数回、口を開閉させた。
 「……『慶様』は、やめろ……その、家族になるなら……」
 小さい小さい声。しかし、一同にしっかり聞こえた。慶は今やゆでダコだった。耳まで真っ赤だ。
 慶はそんな顔を隠すように、自身の腕をかざす。
 「もー、慶、可愛いんだから!」
 冴子の抱いた気持ちを、的確に花鳥が代弁した。爆笑付きで。
 その時、慶の目に殺意が宿った……気がする。
 「殺す!!」
 そこから、本格的に二人の取っ組み合いが始まった。
 後方に控えた面付き達が、万歳! 万歳! と、相変わらず手を挙げている。
 冴子と風月は、その光景に顔を見合せ笑った。

 「冴子、行くぞ」
 慶が、ぶっきらぼうに手を差し出す。
 「はい」
 冴子は、迷いなくその手に自身の手を重ねた。
 まだ幼い六花は、昼寝の隙をみて面付き達預けて来たが、傍らにはお馴染みの花鳥と風月。
 牛車を降りると、そこには冴子にとって懐かしい光景が広がっていた。
 冴子は胸がいっぱいになる。目頭が熱くなり、長い睫毛が涙に濡れた。
 握る慶の手に力がこもる。
 冴子の様子を見て、不安なのだ。冴子が『やっぱり帰りたい』そう言い出すのでは、と。
 今の慶は、冴子に頼まれれば引き止められない。
 以前なら、簡単だった。意思など気にも留めなかった。自分本意に振り回すことに罪悪感などなかった。
 しかし、今は違う。傷つけたくない存在になってしまった。狂おしい程に傍にいてほしいと思っていても、冴子に頼まれれば、承諾するしかなかった。
 そんな慶の心中を察した冴子は、微笑み、その手をきつく握り返した。
 「六花ちゃんもお屋敷で待ってますし、早く帰らないと」
 慶を安心させるため言ったのだが、冴子自身意外な程さりげなく『帰る』という単語が口から出た。
 ……そう、冴子にとってあの屋敷こそが、我が家なのだ。
 「あの子、大丈夫かな」
 「冴ちゃんがいないからねー。帰ったら屋敷ないとか、あるかもねー」
 風月が呟き、花鳥が笑う。
 「やめろ。冗談にしても笑えない」
 慶は舌打ちし、冴子は苦笑した。
 そんなやり取りをしながら、歩を進める。
 
 今日、冴子は、慶と知り合って初めて故郷に降り立った。

 かなり風変わりで、けれど大切な、新しい家族と共に。
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