キミが欲しい、とキスが言う
* *


 翌朝、私はベッドの中に裸のまま入っていた。隣に寝ていた形跡はあるけれど、幸紀の姿は今はない。
濡れたままで放置した髪は、収拾がつかないほど乱れている。

夢のような時間の後って大概こんなんよね、と苦笑しつつ起き上がる。と途端に腰のあたりが痛いというか重い。


「……もう若くないな」


残念なことをつぶやきつつ、着替えをしようと服を物色しているところで、胸元や、お腹につけられたたくさんの痕に気が付いた。

どうしよう、お腹はともかく胸元は仕事に響くな。
果たしてこれが見えないくらいの襟ぐりの服はあるかしら。


今日は日曜日。浅黄は休みだから朝はゆっくりできるけど、彼は昼から仕事で私も夜は仕事だ。

とりあえず部屋着を着込んで部屋を出る。台所からは浅黄と幸紀の声が響いてきた。
どうやら一緒に朝食づくりをしているらしい。


「昨日はありがとうな、浅黄」

「うん。僕ちゃんと手伝えた?」

「上出来。でさ、相談なんだけど。名字変わるのはやっぱ三学期のはじめとかの方がいいよな」

「んー。別にいいよ。いつか変わるなら同じだし」

「そっか。じゃあ三人で届け出しに行くか」

「そしたら馬場さんのこと、お父さんって呼んでいい?」

「なんだよ。気にしてたのか? 今すぐ呼んだっていいんだぞ」


とてもあっけらかんと、浅黄が「お父さん」と呼んだから、私はなんだか拍子抜けしてしまった。
そして、黙って立っている私に、浅黄が先に気づく。


「あ、おはよう、お母さん」

「おはよう、茜」


私を迎えるふたりの笑顔。


「お父さんとご飯作るから座っててよ」


浅黄が、踏み台の上から得意気に鼻を鳴らす。
これから、これが当たり前の日常になるんだと思ったら、胸が締め付けられて。


「おはよう、ふたりとも」


笑ってみせたのに、なぜだか泣いているような声が出た。





【Fin.】
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