死刑囚「久山郁斗」の啓示
刑事課強行犯係特別対策班
 すれ違い様に香るいい香りに意識を取られ、振り返った。頭までスッポリとパーカーを被った男もまた、首だけ捻ってコチラを伺っている。顔は見えない。

「ヤツが逃げた!」

 無線イヤホンから流れてくる声に我に返る。視線を戻したとき、一人の男がアパートの階段の中腹から地面に飛び降りたとこだった。部屋から慌てて飛び出して来たようだ。襟がくたびれたTシャツに、靴の踵を踏んだ状態で走っている。後ろを振り返って「クソ」だの「なんでバレたんだ」と口汚い言葉が吐かれた。
 男を追うスーツ姿の上司が声を荒げた。イヤホンの声と重なる。

「オバナ、捕まえろ!」
「オバナじゃありません、小畑です!」

 伸縮警棒を伸ばし、走って来る男の前に立ちはだかった。視線が繋がった男の瞼が大きく開いた。

「止まってください! もう逃げ場はありま……」
「どっけぇ!」

 走って来た男に突き飛ばされた。体勢を立て直そうと足を踏ん張る。けど、ヒールが小石を踏み、足首があらぬ方向へ曲がる。伸ばした手に何かが引っかかった。必死に捕まる。おかげで傾れた体は平衡感覚を保ち、地面に尻餅をつかずに済んだ。
「先に行きます!」私の脇を通り過ぎ様に声が上がる。
 振り返ると、シャツを引っ掴かまれた犯人が地面に頬を擦り付けている状況へと移り変わっていた。

「片山渉。強盗容疑でお前を逮捕する」

 男の腕に手錠がかけられた。悪態をつく男を二人の捜査員が立たせた。
 その姿を見て、小さく息を吐き出した。

「おい、オバナ。俺を捕まえてどうする」

 ふいに振ってきた低い声に顔を上げた。中年の割に深い眉間の皺がさらに深くなり、唇からは今にもギリギリと歯ぎしりが聞こえてきそうだ。慌てて掴んでいたスーツの袖口を手放したが皺は消えない。
 首を傾げてみせた。

「誤魔化すな! 犯人取り逃がすとこだったんだぞ! 俺は容疑者を捕まえろって言ったんだ。俺を掴んでどうする、顔だけオバナがっ!」
「私は小……」

 後ろ頭を引っ掴まれ頭を下げさせられた。押さえつけられたまま視線を横にやる。よく磨かれた革靴に細いストライプの入った皺のないスーツパンツがそこにはあった。

「すみません。うちの小畑が本当にすみません。ほら、アンタも頭下げまくるのよ!」

 下げていた頭がさらに上から押さえつけられる。前屈のような姿勢にグェッとマヌケな吐息が漏れた。
 前に立つ上官がこれ見よがしなため息を吐いた。

「やっぱり役に立たないよなぁ、顔だけ班は。なぁカマダ」
「すみません。この子にはよーく言って聞かせますから!」

 特大のゲンコツが私の脳天を直撃した。
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