死刑囚「久山郁斗」の啓示
 タンコブの出来た頭を氷袋で押さえながら早足で歩く先輩上司を小走りで追いかける。長身である彼女の歩幅は大きい。おかげで私は駆け足でついていかなければならない。

「アンタのせいでカマダって呼ばれたわ……」
「それは私のせいではなく浜田先輩がオカマだからです」

 浜田先輩のダークブラウンの癖のある前髪が翻る。男とも女とも取れない美人な顔の中心、眉間にシワが寄る。

「言葉に気をつけないさい。オバナはまだ所轄に来て一ヶ月のペーペー、かたやアタシは一〇年以上、第一線で活躍してきたベテランよ。アンタなんかが私をオカマ呼ばわりするなんてあと一〇年早いわ」

「オバナって呼ばないでください!」
「見た目だけの雄花って言われたくないのなら、中身も伴うよう上司に対してキチンとした態度を取れるように成長することね」

 浜田先輩は再び廊下を歩き始めた。
 廊下では時計を見ながら颯爽と歩く私服警官、資料を持って小走りに廊下の奥へ駆け抜けていく制服警官、携帯に向かって罵声を浴びせる上官などが入り乱れていた。

「騒がしいですね。何かあったんでしょうか?」
「そうね。……あ、ちょっと小山ちゃん! 何かあったのかしら?」

 資料の束を持って廊下を走る制服警官の女の子を浜田先輩が呼び止めた。声をかけたのが浜田先輩だとわかると小山と呼ばれた女性は頬を染めた。そしてチラチラと彼に対して上目遣いをしてみせる。

「浜田先輩……。えっと今から連続殺人事件に関する捜査本部の会議をするみたいで、それで皆慌ただしくしてるんです。私も庶務に借り出されちゃって」
「そうなの。ご苦労様」

 肩を叩く浜田先輩に小山さんはさらに頬を赤らめた。

「し、失礼しますっ!」

 踵を返し走っていく後ろ姿を見やった。資料を抱えているというのに、両手が左右に揺れ、やけに内股……完全に恋する乙女の走り方だ。いくら交通課でも一介の警察官が走り方を知らないとは言わせない。

「行くわよ」

 開けっ放しになっている出入り口で足を止めた浜田先輩が私を呼んだ。小さく返事をして刑事課と掲げられているそこをくぐり抜けた。
 O市警察署刑事課強行犯係特別対策班、ここが私と浜田先輩の居場所だ。名前は何か特別な班のようで着任当初は期待していたが、実際に行った仕事はただのサポート役だった。強行係が所轄警察署管内で起こった殺人や強盗などの凶悪事件に従事するとき、私たちは捜査本部を立ち上げるために講堂を掃除し、長机を出し、捜査資料をコピーし、鑑識から上がった書類を届け、捜査費を庶務に上げる前に演算チェックを行う。たまに捜査に加わることがあるかと思えば、確保の応援と容疑者や参考人のためにお茶を汲むのみである。予算も他班の一〇分の一程度。班員は私と浜田先輩の二人だけ。そのため、所轄の中でも花形の刑事課に所属しているはずなのに、私たちは名前だけ立派な『顔だけ班』と揶揄されている。

「お。顔だ……浜田班! お前らちょっと来い」
「日渡課長。今、顔だけ班って言おうと……」
「黙ってなさい」

 脇の下を持ち上げられる恰好で課長の前まで連れてこられた。浜田先輩のカツンと靴底を鳴すのを条件反射に背筋が伸びる。

「今から連続殺人に関する捜査本部の会議があるんだが、お前らもちろん浮いてるよな?」

 浮いている、とは現在受け持っている仕事がないということを表す。意味は分かっているつもりだが、課長が「もちろん」なんて使うから引っかかりを覚えてしまう。

「相当な事件らしくて捜査本部がお前らまで欲しいと言っとるんだ。行ってきてくれ」

 敬礼をしてデスクまで走った。急いで手帳とペンを机から出し、胸の上で抱きしめた。

「すごい。ついに連続殺人の捜査本部に……私たちが顔だけじゃないって分かってもらえたんでしょうか?」
「私たちって言い方やめてほしいわね」

 浜田先輩は軽く笑って部屋を出て行った。
 捜査本部は所轄署の四階、講堂に設置されていた。入り口には模造紙に戒名が掲げられている『O市駅前婦女連続殺人事件特別捜査本部』と。

「戒名おかしくないですか?」

 特別捜査本部という戒名は本来なら警視庁のみが使う。こんな九州の田舎で“特別”なんて使うことはまずない。
 横を見たが、浜田先輩はもういなかった。
 慌てて講堂に入る。生唾を飲み込んだ。
 部屋の正面に集中して無線機や臨時電話などが設置されたシマ。いくつもの長机を組み合わせて作られたデスク席に捜査員たちと向かい合うひな壇。黒く縁取られた被害者写真や事件概要などが書かれた模造紙が張られたホワイトボード。捜査員席には同じ所轄内の顔見知りの捜査員がかき集められている。が、誰一人、口を開こうとしない。
 捜査本部が立ち上げられるたび、借り出され作っていた本部内部の光景。見慣れている筈なのに神経が尖る。これが捜査の雰囲気……。
 重々しく張りつめた空気の中心に、忙しなくやり取りをしている人たちがいた。デスク席だ。鋭い目に威圧感のある背中。胸には県警本部の刑事である証の赤いバッチが光っている。明らかに所轄の刑事たちとは雰囲気が違う。

「そこの、名前は?」

 デスク席から声をかけられた。生唾を飲み込む。

「お、小畑です」
「席は一番後ろね。浜田の横」

 短く返事をして部屋の隅にある長机に急いだ。だが、必ず置いてあるはずの捜査資料がない。すでに席についている浜田先輩を見た。彼女も何も持っていないようだ。庶務をしている人に走り寄り、捜査資料が足りない旨を伝える。浜田先輩の横に座り、まわりがしているように模造紙に書かれた資料を書き写す。
 結局私たちに捜査資料が届けられる前に、幹部たちが講堂へ入ってきて、各々の席についてしまった。

「それではこれより、連続殺人事件についての捜査本部会議を始める」

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