お願いだから、つかまえて


本心を言えば、香苗と話して、考えを整理してから、修吾と向き合いたかったけれど。
そんな我儘を言う資格もないだろう。

修吾の姿は珍しく私がフロアを出る前になくなっていたから、先に帰ったのかもしれない。
どこに、とも約束はしていなかったけれど、修吾の部屋に向かうべきなんだろうと、会社を出た時。

「理紗」

呼び止められて足を止めると、出入り口の脇に修吾が立っていた。

「あ、修吾。今行こうと…」

咄嗟の時、何もかも一瞬忘れるのは、私の癖なのかもしれない。
私はなんのわだかまりもない顔をしてあまりにも自然な態度でそう言っていた。
あ、間違えたかな、と思ったと同時に、修吾がほっとした顔をした。
よかった、間違えてなかった。

「いや、もし…理紗が、嫌じゃなければ…俺の部屋でいいかな、と思って、待ってたんだけど…」
「え、そのつもりだったよ。行こう?」
「…よかった。」

呟くように、修吾はそう言って。
私たちは並んで歩きだした。

それは不思議と穏やかな時間だった。
今までと同じわけじゃない。
だけど、お互いを思いやって、優しい空気が流れていた。

「ごめんな。」

修吾が歩きながら、俯いて言った。
何日もそう言いたかったんだろう。大きい荷物を下ろすような言い方だった。

「今週ずっと、髪下ろしてたろ。首…痛いよな。」

私は笑って首を振る。

確かに執拗に噛まれたり擦られたりした首筋の皮膚はまだ少し赤いけれど。
修吾が悪いわけじゃない。修吾がああなったのは当然だと思う。

また泣きたくなった。
だけど私が泣くのはずるい。
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