熱愛には程遠い、けど。

09 伝えたい、のに

 週末、雅史さんと時間を合わせることができて、私は彼の自宅へと行った。
 何度も訪れたことのあるシンプルですっきりと片付いた部屋。ソファに座る雅史さんとテーブルを挟んで向かいに座っていた。
 テーブルの上には雅史さんからもらったリングケースが置かれている。
「そっか……意志は固いみたいだな」
「ごめんなさい」
結婚できないこと、好きな人ができてお付き合いを続けていけないことを正直に伝えた。
「少しも結婚は考えられなかった?」
 私は首を横に振った。
「一度は結婚しようって、ちゃんとそれを伝えようって思った。私、付き合っていた時の気持ちは嘘じゃない。ちゃんと、本気で……」
 本気で好きだった。でも、
「宮下……か。春にアイツと一緒になって、少しずつ気持ちが傾いていったってことか」
「……はい」
「たった数か月で……。俺は何か月もアプローチしてやっと付き合えたのに、アイツはただ一緒に仕事してるだけで杏奈の心を奪ったってわけか。でも分かるよ」
「え……?」
「宮下は良い奴だよ」
 雅史さんはテーブルに置かれたリングケースを手に取ると「わかった」と言った。それは、私の気持ちを分かって別れを受け入れてくれたと言うことだろう。
 重苦しい空気に耐え切れなくて、立ち上がってその場を立ち去ろうとするとすぐに呼び止められた。
「見苦しいかもしれない。でもやっぱり簡単には諦めきれそうにはないから、これだけは言わせてくれ」
「え?」
「宮下のこと。宮下の話を、少し」
 私は立ったままゆっくりと身体を再び雅史さんの方へと向けた。
「前に宮下と同じ部署で働いていたことがあったって言ったよな。当時宮下は、同じ部署の同期の女性と付き合っていた。結構長かった。三年くらいか」
 過去の話といえど辛い。でもここまで聞いて話の続きを聞かないわけにはいかない。雅史んさんの話の意図は分からないけど、宮下さんのことはなんだって知りたい。
「女性の方が、すごく仕事のできる人でさ。海外での新規事業の立ち上げでメンバーが招集されたんだけど唯一の女性、それも最年少で選ばれた」
「そう……そんな人が彼女……」
「彼女は宮下との別れを選んで海外へ行った。それから宮下は普段と変わらない様子だったけど話を聞けばやっぱり落ち込んでいたし、俺が異動した後、彼も総務へ異動になっていた話を聞いて、少なからずその影響もあるんじゃないかと思う。色々ツメが甘いやつだけど、総務で事務仕事するにはもったいない奴だよ。仕事に影響が出るほどショックだったのだと思う」
 淡々と雅史さんの話を受け入れていた。今はまだ、何も考えられない。
「その彼女がさ、先月日本に、本社に戻ってきたんだ。何度か二人が一緒に話している姿を目にしたよ」
 話と同時に脳裏に浮かび上がる一人の女性。前に宮下さんを訪ねてきていたあの女性。彼女に間違いない、そう思った。
「うん。たぶん……その人知ってる。綺麗な人ね」
「周りにオープンで、隠さず付き合っていたあの頃の二人の様子を、そのまま見ているようだった。……杏奈。今ならまだ、戻れないか? 俺たち」
「今の話を聞いて、胸が苦しい……悲しい。でも……ごめんなさい!」
 私を頭を下げると、駆け出した。
 ドアを開けて部屋を飛び出して、エレベーターに乗って閉まるボタンを押したら目頭が熱くなってきた。
 まだ、二人が復縁したとは決まったわけじゃない。でも宮下さんが過去に付き合っていた女性は自分とは比べ物にならないほどすごい人で、その現実をつきつけられて一気に自信がなくなってきた。
 雅史さんと別れたからと言って、宮下さんと思いが通じ合う訳じゃない。わかっていたことだ。宮下さんが自分に気がないことは。
 それなのに彼と過ごす楽しい時間が私の気持ちを前向きにして、雅史さんと別れて早く自分の気持ちを伝えたい、そればっかりで……ふられることを現実的に考えていなかった。
 ふられたら……終わりだ。今までのような時間は過ごせなくなる。ただでさえ宮下さんと一緒に仕事ができるのはあと数か月だというのに。
「やだな……」
 ポツリと呟いて、今にも流れ出しそうなものをこらえて上を向く。
 嫌だな……宮下さんとの別れの日が近づいているなんて。どうして私は契約社員なんだろう。
 恋心を宮下さんに伝えるのはやめようか。でもどうぜ私は会社を去り、会えなくなるのだから。ダメもとでもこの気持ちを伝えて見ようか。
 この日は一日、宮下さんに気持ちを伝えるか伝えないかその思いがずっと心のなかをぐるぐると駆け巡っていた。

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