恋蛍~君の見ている風景~【恋蛍 side story】
「じゃあまた。機会があったら」


と榎本さんはあたしに1万円札を預けてタクシーを降りた。


「困ります」


断るあたしに彼は「じゃあこうしよう」と微笑む。


「モデルのギャラってことで」


「でも!」


「おやすみ」


榎本さんが手動でドアを閉める。


タクシーはゆっくりと速度を上げて走り出した。


運転手が言った。


「今年も残すところ僅かになりましたね。来週はクリスマスですよ」


「そうですね」


答えながら流した視界に飛び込んできたそれを見つけて、思わず「うわっ」と声が漏れる。


「嘘でしょ」


シートにぽつんと残されていたのは一眼レフカメラ。


あたしはカメラに手を伸ばし、運転手に言った。


「すみません、停めてください」


「えっ」


運転手は唐突な注文にあたふたしながら速度を落とし、路肩に車体を寄せてハザードをたいた。


静かな車内にカチコチと音が響く。


運転席から顔を覗かせた運転手があたしの手元を見て「あ」と声を漏らした。


「カメラ。先程のお客さんの」


「はい」


「忘れ物ですね」


「……ああ」


はい、そうです、とは返事できなかった。


なぜなら、おそらくこれは忘れ物じゃないのだから。

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