籠姫奇譚
階段を降りると、ご機嫌とりをするような甘い声を出す女将と見知らぬ旦那の後ろ姿。
「只今参りました……」
「こっちへおいで。……ほぉら旦那様。あげはにございます」
背中を押され、無理やり前に押し出される。
「初めまして、あげは。僕がこれから君の主人になる天道寺遙(てんどうじはるか)」
一瞬、時間が止まった気がした。
そこには想像していた主人とは全く違う美青年が居たから。
耳にかかる漆黒の綺麗な髪、吸い込まれるような紅い瞳、少し青白い滑らかな肌。
歳は二十前半くらいの華奢な体つき。
彼はあげはの瞳に、病的な程美しく映った。
「……よろしくお願いいたします。旦那様」
「ああ。遙でいいよ」
にっこりと微笑む青年は、とても優しそうに見えた。
「君の名前は、今日から蝶子。もう源氏名など捨てておしまい」
(蝶子……私の……名前?)
心の中で何度も繰り返してみる。今日からあげはという名を捨て『蝶子』になるのだ。
「はい……。遙さん」
名を呼ぶと、彼は満足気に微笑んだ。