もう1度ラストチャンス


「わぷっ」

 今日までのことを思い出しているうちにボーッとしていたところに、風が運んで来た砂埃が目に入った。
 ダメだ、いつまでも引き摺ってたって、何もいいことはない。新しい自分を探しに来たんだから……。嫌なことから逃げているだけだけど。祖母の家までの、残りの上り坂を歩き出した。

 「全くなんなのよ、この坂。こんなところで、みんなよく生活できるわね」

 ぶちぶちと、無意識に不満を口にしてから思い直す。わたしは電車の駅がある坂の下から来たけど、実は坂を登りきった高台の方が拓けていて、バスターミナルがあり、地元の商店街から大型ショッピングセンターまで揃っている。市民病院だけが坂の下にあるけどバスが出てるから、それほど生活に困らない。

 「それにしても買い物とかにクルマは必要よね。おばあちゃんと出掛けることもあるだろうから、貯金が尽きないうちに中古の軽四でも買うか……」

 平日の昼前で、周囲に人影がないのをいいことに、独り言を言っているうちに、祖母の家に着いた。祖母宅は記憶より古びていて小さく感じる。何年も来ていないから当然か。門扉を通り抜け、玄関に手を掛けるが……。

「あれっ?」

 一応チャイムを鳴らしてから玄関のドアに手を掛けたけど、鍵がかかっている。昨日の夜うちに電話で着く時間を知らせていて、鍵を開けている約束だったんだけど。高齢者の独り暮らしだから、用心のためにかけたままにしているのかも知れない。門扉まで戻り、もう1度チャイムを鳴らすけど、やっぱり反応はない。

「買い物に行ってるかなぁ」

 玄関の横から中庭に入った。こんなにいい天気なのに、中庭の物干し台には洗濯物がない。

「おかしいなぁ」

 中庭と室内を隔てるサッシを確かめようと手をのばしかけた時に、カサリと物音がした。音の方に顔を向けると、わたしが来た方とは反対側から、スーツ姿の若い男が近づいて来ている。

「あ……」
「もしかして、小林さんのごしん……」
「ふ、不審者!?」
「えっ?」
「何なの!人の家に勝手に入って来て!」
「あの、僕は」
「あ、空き巣ね!最近の空き巣は目立たないように、スーツ姿だってテレビで言ってたわよ!」
「や、ちがっ!僕は小林さんにリフォームを依頼されて……」
「リフォーム?分かった、高齢者を狙ったリフォーム詐欺ね!どっちにしても警察を呼ぶから!」

既にバッグから取り出したスマホで“110”を入力して見せた。後は発信するだけだ。

「本当に、本当にリフォームを依頼されてるんだって!打ち合わせをするから来たんだけど、全然応答がなくて、様子を見ようとしたんだ。そしたらチャイムの音がしたから……」
「慌てて逃げようと思ったんだ!」
「だーかーらー、本当に打ち合わせだって。ほら、僕の名刺。そこに書いてる会社に連絡してみて」
「そんなのグルかも知れないじゃない、信用できない」
「あーっ!」

 一応差し出された名刺を受け取り、そのままグシャリと握りつぶしてやった。同時に110番に発信した。



「本当にすみません」

 数十分後、わたしは仏頂面の警察官に頭をさげていた。男は本当にリフォームを請け負った会社の人で、連絡を受けた男の上司まで駆けつける大騒ぎにしてしまった。

「確認してから通報してくださいよ」

 嫌味ったらしいセリフを残して、警察官は去って行った。確認できるような雰囲気じゃなかったんだから、わたしが。

「全く、子どもじゃないんだから、上司が呼び出されるようにことするなよ」
「はい、すみません」

 男の額をコツンと叩いた上司と思われる人は、後はちゃんとやれよと言い、帰って行った。

「あの、すみませんでした」
「いえ、僕の方こそ申し訳ないです。知らない男が庭にいたら驚きますよね」

 謝ったわたしに、彼は柔らかい笑顔をした。あれだけ酷いことを言ったのに、笑顔の彼を見て、ますます身を縮めた。

「それにしても小林さん、どこに行ってしまったんでしょうね。約束の10時半に来た時には、もういないようでしたし」
「そう、ですね」

 わたしがここに着いたのは11時頃だ。少なくとも30分はいないということだ。

「ちょっと待っててください」

 そういうと彼は外に出て行った。1人になってホッと息を吐く。とその時、バッグの中からの振動音に気づいてスマホを取り出すと、母からの電話だった。

「もしもし?」
「あー、ようやく出た。涼美、今どこにいるの?」
「おばあちゃんの家よ。でも、おばあちゃんが居なくて……」
「そのことだけどね、おばあちゃん、救急車で市民病院に運ばれたらしいの。お母さんのところに連絡が来たんだけどね、孫が行きますって言っといたから。どうせしばらくそっちにいるんでしょ。後のことよろしくね」
「えっ、ちょっと……」

 わたしに口を挟む暇を与えず、一方的に喋った母は、電話を切ってしまった。

「おばあちゃん、病院って……」

 母の言葉を反芻していると、あの彼が戻って来た。

「お隣の人に聞いてきました。今朝、救急車が来てそうです」
「母からも連絡がありました。市民病院に運ばれたって。今から行きます」
「そうですか」

 市民病院、この坂をまた下りないといけないのか。げんなりしていると、頭上から「送りますよ」と声が聞こえた。

「いや、申し訳ないし」
「いいですよ。僕も小林さんのことが心配ですし。これからの予定をどうするか相談しないといけませんから」

 申し訳なく思いながらも、彼の申し出を受けるとこにした。坂を登りきったところにあるコインパーキングに停めていたクルマを、家の前まで回してくれ、それに乗り込み市民病院に向かった。
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