レンタル夫婦。

***

「――という具合に、中原さんの報告は大変参考になりました。有難うございます」
「あ、いえ……」

結構適当に書いた気がするのに、そう言われてぎこちない笑顔しか返せない。
榊さんは私を思いっきり褒めた後、湊の方を向いてにっこり、と擬音の付きそうな笑みを浮かべた。

「それに比べて佐伯クン。これはどういうことかな?」
「だから、書いた通りだって」

湊がタメ口で返しているのを見て少し驚く。敬語が使えない子ではないはずだけど……?
榊さんは少し偉い人のようだし何となくひやひやした。

「書いた通り? じゃあ報告してくれ」

榊さんはそう言いながら、湊が提出したらしい報告書をみんなに見えるようにスクリーンに映す。
そこにはただ一行、『直接報告します。』とだけ書かれていた。……そりゃ、怒るのも無理はない。小学生じゃないんだから……とつっこみたくなって、湊を見つめる。
湊はちらりと私を見て、ふっと口角を上げた。
何となく嫌な予感が、する。

「――こういう、こと」

湊はそう言いながら、さっきから繋ぎっぱなしの手をテーブルの上に出した。

「え、」
完全に油断していて、固まってしまう。
恐らく他の人も同様で、皆固まっているという感じだった。

「オレ、みひろさんと本当に結婚するから。……いいでしょ?」
「え!?」

その言葉に、他の誰よりも早く反応せざるを得なかった。
結婚だなんて……聞いてない。

「待ってみな、」
「榊さん、結婚式とか色々準備手伝ってよ」

待って湊、という前に湊が榊さんに声を掛ける。
榊さんはポカンとしていた。

「えーと……つまり、どういうことだ?」

少しの間を置いて、困惑したように頭を掻く。
湊はそれを予想していたのか、得意げに笑った。

「だから、そのままの意味。オレ、みひろさんと離れる気ないから」

どうしよう。
どうして良いか分からない。
ただただ湊を見つめることしか出来なかった。
嬉しいけど……素直に喜べる状況ではなくて。
驚きと恥ずかしさと混乱と……色んな感情が一気に押し寄せてきて声が出ない。

「えー……あー、中原さんも、同意でよろしいでしょうか」

榊さんが明らかに挙動不審になりながら、咳払いをする。
それから改めて私を見てそう訊いた。
これ、もしいいえ、って言ったらどうなるんだろうって考えてしまう。
嫌だってつもりはないけれど、素直に頷いて良いのかも分からなかった。


「え、っと……」
「何、みひろさんホントの結婚はいやなの? それなら別に待っても良いけど」

私がいつまでもハッキリ答えなかったからか、湊が焦れたようにそう口にする。
軽く頭を振って、結論を出した。

「湊、気持ちは嬉しいけど、実際結婚って大変だよ? 今回は資金面とかバックアップされたから上手くいっただけで、」
「だからだよみひろさん。……榊さん、とりあえず継続って形にしてくんない?」

私が全て言い切る前に、湊が遮って榊さんにそう提案した。

「継続?」
「うん。元々言ってたじゃん。とりあえずひと月から始めて、実際にサービスを開始することになったらどのぐらいの期間がいるか検討しなきゃいけないって。だから、引き続き実験でいいよ。報告書はマジメに書くからさ」

そこまで聞いてやっと、湊が何を言いたいのか分かった。
確かに継続という形なら、今までと何も変わらない。
お金のことを不安に思わなく良いどころか、部屋だって探さなくて済む。
榊さんは完全に面食らったようで、困ったように紡いだ。

「言い分はわかるが……現実的な問題がだな……部屋の更新だとか、お前の対応だとか」

榊さんの言っていることは正論だと思う。
それでも、湊は少したりとも怯まなかった。

「ああそれ? その辺の問題についてはもう手、うってあるよ。社長とこの前話してオッケーもらてるし。何なら聞いてみてよ。何の計画もなくそんなバクチうつ訳ないでしょ」
「社長に?……本田、すぐ確認してきてくれ」
「え、あ、はい、ただいま!」

明らかに動揺している榊さんに、狼狽えているありささん。
何か……湊は凄いと思った。
社長とか、何? 直接連絡取れる関係なの? って、疑問は増すばかり。
もうどうして良いか分からずにいると、湊は唐突に立ち上がった。

「まぁそういう訳だから、オレたちは帰るよ。あと必要な書類は郵送して」
「え、湊、」
「おい佐伯、」
「――このぐらいはいいでしょ、一ヶ月もそっちの実験に付き合ったんだから」

湊は強引に私の腕を引く。
引き止める榊さんにそう言い放って、半ば無理矢理廊下へと出てそのままエレベーターに乗り込んだ。

「湊……いいの? こんなことしちゃって……」
「うーん? 大丈夫だよ。社長は知り合いだから」
「……湊って何者なの? よく分かんないよ」

急に不安になって俯く。
朝の湊と今見た湊が違いすぎて。
人格がいくつもあるんじゃないかと思うぐらい。

「……嬉しくなかった? プロポーズ」

それなのに、そんな見当はずれみたいなことを訊かれる。
そう言われたら、そんなの、答えは一つしかなくて。

「それは……嬉しかったよ」

ちょっとだけ恥ずかしくなって目を伏せる。……と、湊は嬉しそうに笑って、顔を近付けて唇を重ねた。
ちょうどエレベーターが開く。

湊は何事もなかったようにそこから降りてしまって、私は慌ててその後を追った。


< 59 / 61 >

この作品をシェア

pagetop