平凡な毎日に恋という名の調味料(スパイス)を
双子の姉、希が居候していたころは、もう少しスムーズに起きていた……というより起こされていた。だが、彼女が娘の出産と同時に実家へ帰ったいまは、晃の自力で起きるほかはない。

『橘亭』の開店は十一時半だが、それまでに、店の掃除や食材の仕入れ、下準備などやらなければいけないことは山とある。

それに加えてもう一つ。晃には大切な朝の日課があった。

いったん厨房に立てばすっかり目は覚める。それでなくとも、洗顔し髭を剃るより当たり前に、勝手に手が動いて調理が進んでいく。

毎回必ず入れるのはシンプルな玉子焼き。飽きないのかと尋ねたこともあったが、毎日三食でも食べられるという答えが笑顔とともに返ってきた。
あとはオーソドックスに煮物や、日によって唐揚げや生姜焼き、塩鮭などをメインにして仕上げている。あまり凝ったものだとかえって気を遣わせてしまうだろうという、彼なりの配慮だった。

粗熱が取れたものから彩りよく弁当箱に詰め、蓋の上に載せた保冷剤といっしょにナプキンで包む。真夏は特に気をつけなければいけない。
さらにそれを、可愛らしいペンギン柄の保冷バッグに入れたところで時計を見た。

7時26分。そろそろ、彼女の出勤時間だ。

晃はコンロの火をすべて落としてから店を出る。
マンションのエントランスでエレベーターが見える位置を陣取った。タイル張りの壁に寄りかかると、一度は止まっていたはずの欠伸が復活する。
この弁当作りがなければあと30分は寝ていられるのだが――。

35歳にもなる大の男がファンシーなランチバックを持つ姿は、朝からなかなかシュールな光景だ。
彼女の『好き』ばかりを詰め込んだ弁当は、毎回必ず空になって返ってくる。一言のラブレターを添えられて。

食べ物に関しては『好き』を大安売りかと思うほど大盤振る舞いするくせに、肝心の時はなかなか口にしてくれない。
おかげで晃は、一番聞きたい『好き』を彼女から引き出すまでに、ずいぶんやきもきさせられたものだ。
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