人魚花
──ただ一つ、心残りがあるとすれば、去り際に初めて見せた、あの傷つけられたような表情か。

(なんで、あんな……)

まるで、私がひどいことをしたような気分になる。本当はずっと騙していたのはあちらだというのに。

勿論あれも演技なのかもしれない。<彼女>に自分を信じさせるための、そんな小賢しい嘘だったのかもしれない。

けれどあの表情が焼き付いて、ちらついて、妙な期待を抱いてしまいそうになる。

何か、私が知らない何かがあってしまうのではないか……そんな期待を。

(……まだ、ロイレイを信じたいのかしら、私)

否、恐らく信じたいのだろう。
全部嘘だと、そんなことないと、君の歌が聴きたいというあの言葉は真実なのだと、そんな言葉を望んでいるのだろう。

ありえないと、頭ではわかっているのに。
そんなことを望む自分がどんなに無様か、わかっているのに。

──望んだところで叶うはずもないと、わかっているのに。

もう二度と、あの時間は蘇らないし、繰り返すこともできない。

関係を壊したのは<彼女>で、拒んだのも<彼女>で、孤独の道を選んだのもまた<彼女>なのだから。

もう二度と、会うことは出来ない。

そう思うと、ぼんやりと見える月影が、彼のヒレのような碧色に光っているように見えた。
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