グーグーダイエット
15:まんじゅうこわい
 まんじゅうは怖い。とても怖い。あんな美味しくて怖い物と言ったら他には無い。そうだな、他に有るとすれば、玉露の茶くらいであろうか。
 さと子はそんな話を思い出しながら、目の前にあるまんじゅうを見つめていた。美味そうだ。とても美味そうで怖いぞ。
 さと子の怖いと言う感情は、決してまんじゅうをプレゼントして欲しいからではない。食べたいが、きっと今食べれば太ってしまうに違いない。そう思っていたからである。いつの間にか、食べる量も少しずつ減っていた。さと子は、ブンブンと首を振ってコンビニを後にした。そんな彼女の姿を、偶然その場に出くわした達海はジッと見つめていた。

 自分のデスクの席へとつき、さと子はため息をつく。若干頭も痛いな。額に手を当てる。
「大丈夫かよ。何か最近カリカリしてんぞ?」
「だよなぁ。最近、俺等和食ばかりだしさぁ~」
「そうですね。そろそろ肉や甘い物も食べた方が……」
 つけ坊主、ぎりの助、サラダの3人は、さと子に不安そうな表情を向けて言う。
 さと子は、自身の努力によって瞬く間に体重が激減した。以前は目でさえ肉が覆っていたような姿が、当時に比べれば見違える程の美人に変わった。お陰さまで、毎日鏡を見てニヤけるのが日課になってしまっている。さと子の本来の美しさを知り、心なしか男女共にさと子へ声をかける回数が増えた。それがまた嬉しく、さと子は最近和食ばかりを食べるようになっていた。ハンちゃんやスーさんにも会いたいが、此処はグッと堪えるのだ。そう言い聞かせて、今や73キロ。ぽっちゃり雑誌のモデルに呼ばれてもおかしくは無い程度の体重だろう。
「うーん。そうね。でも、もう少しよしとくかな」
 この答えを聞くのは2週間連続だ。幾ら体に良い食べ物とは言え、本来さと子が1番好きな食べ物は肉なはず。好きな食べ物が食べられないことがどれだけストレスか。それは食べ物である自分達が一番分かることだ。3人も、流石にどうにかせねばと2週間考えてみたが、どう説得すれば彼女が納得するのか。女心と言うヤツは、至極難しいものだ。腕を組んで困り果てる3人の後ろから、男性が1人歩いて来た。その存在に気付くと、3人は見えもしないのに道を開ける。男性は、さと子の隣にやって来ると、さと子の手の中にコンビニで売っていたまんじゅうを置いた。「えっ」と顔を上げると、さと子はその人物の名前を言った。
「達海ぃ。何よコレ。また太らす気?」
「ああ太れ。……って言うと誤解を生じそうだが、ダイエットに無理は禁物だってことだよ。お前は十分痩せた。これから痩せるも太るも、キープするのも勝手だが、どの選択をするにしても、お前が食べることを楽しめる程度にダイエットすることだな」
 達海の言葉は尤もであった。食べ物男子達も、あまりにも明確で、自分達の気持ちを代表したかのような言葉に思わず拍手をする。それにしたって、何で痩せろと言ってきた張本人にこんな上から目線で言われなくてはならないのか。さと子はツンと顔を逸らした。
「おいコラ。もっと素直になれ。この人はお前の為を思って言ってくれてんだぞ?」
「そうですよ、さと子さん」
 つけ坊主とサラダの厳しい視線がさと子に刺さる。さと子は見るに堪えず、達海に視線を逸らした。達海はさと子の態度など気にも止めず、自らの職場へと戻って行った。
「かっこいいなぁ、あんな大人になりたいぜぇ」
「つけ坊主とは見た目も性格も正反対そうだけどね」
 チクリと刺さるさと子の言葉。事実、坊主頭の彼とサラサラとした黒髪の達海では差がありすぎる。つけ坊主は顔を赤くすると、「笑うな!」と、クスクスと笑うサラダの頭を叩いた。野菜同士ゆえか、案外仲は良いらしい。
 優しさなのは重々分かるが、それでもまんじゅうを食べるのは若干のためらいがある。さと子は、封を切らずにまんじゅうをデスクの上に置いた。すると、その袋の中から、まんじゅうの男が現れた。
「どうも。和菓子担当のニの川万児(にのかわまんじ)と申します。どうぞ、お見知りおきを」
 この語り口調。そして、落ち着いた色合いの着物。そうか、「まんじゅうこわい」とは落語のタイトルで聞いたことがあったが、まさかそのまま落語家とは。今までの食べ物は名前など無かったのだが、芸名だろうか?
「あら、面白そうな人。宜しくね、二の川さん」
「それはそうと聞きましたよ。殿方と上手くいってらっしゃらないと」
「上手くも何も、私は論外ですから」
 頬杖を付き、窓の向こうの青い空を見る。何時になく弱気なさと子に、二の川さんが、「いやいや」と持っていた扇子を振り、それをパンッと音を立てて一気に広げて見せた。広げた扇子には、美しい桜の絵が描かれている。
「事実は本人のみぞ知るのです。ソナタだって、始めは殿方への好意から始めたことだっただろう?」
「それは……」
「殿方の為に、始めの頃は無我夢中で痩せていたはずだ。だったら、彼に聞くことだって出来る。愛があれば出来るはずですぞ」
 ずいっと顔を押し付けられ、彼の妖艶な目尻が目に映る。
「……そうか」
 思えば、確かに始めの頃は達海に言われた一言によって頑張ろうと思えたのだ。始めこそショッキングだったが、今思えば、此処まで痩せられたのは達海のお陰だ。体型など気にも留めないあの男が、わざわざキツイ言葉で叱咤激励してくれたから。
「そうね。私、今まで酷いことしちゃったかも。でも……私、もっと痩せたいのに、70キロにしとけだなんて。何でそんなこと言うのかしら。70キロもそれなりに不健康だと思うのに」
「だから、それを彼に聞くのです!」
 二の川さんは、ビシッと腕を伸ばし、閉じた扇子の先をさと子の顎に押し付ける。その後ろで、つけ坊主、サラダ、ぎりの助もうんうんと頷いていた。
「直接ぅ? 答えてくれるかなぁ。それに、返事次第ではかなり落ち込みそうだし……」
「その時はその時です! 大丈夫。賢い殿方なのだから、きっと考えがあってのことに決まってる」
「だぜ! 達海さんが単なるイジワルなんてするタマじゃねぇよ!!」
「つけ坊主。アンタは達海の何を知ってるってのよ……」
 腑に落ちない点もあったが、ずっと達海を警戒するわけにもいかまい。意を決すると、さと子は頷いた。
「分かったわ。分かった聞いてみる! どーせデブだもの、当たって弾け飛んでやるわ!!」
「そうこなくっちゃ!!」
 さと子と食べ物男子達が、「おー!!」と片手を上げて言うと、職場の人間が一斉にさと子を見た。ヤバい。食べ物男子達が見えるのは自分だけ。この場合、普通の人間から見た私は怖い人じゃないか。
「なんつって! はは、ははは……」
 強引に笑って誤魔化すと、近くにいた同僚が数人笑ってくれた。良かった、大スベりせずに済んだ。同僚の有難味を感じたさと子であった。

 休憩時間、さと子は達海の職場を覗いてみる。さと子の職場よりお堅い雰囲気で、達海さんいますかー? とは到底聞きづらい。
「何してんだ」
 後ろから声をかけられ、心臓がドキリと跳ねたものの、此処で叫べば怪しい人間だと社内で噂になるかもしれない。悲鳴をグッと堪え、「達海ぃ」と気の抜けた声で言った。
「ご、ご飯、どう?」
「そんなことか。丁度良かった。一緒に食べよう」
 筋肉の感覚で自分の表情が引きつっていることが分かったが、達海は柔らかい微笑を向けてさと子の手を引いた。
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