絡む指 強引な誘い 背には壁 Ⅴ
7月25日の新店オープンに備えて寝る間も惜しんで売り場作りの作業をして、今度はオープンしたらオープンしたで、伝票処理や品出し、接客、配送にまでわたるフォローの仕事が山のようにある。
慣れない仕事続きの香月もベテラン達も、オープン2週間経過してようやくお昼の休憩中に笑いが出るようになってきた。
それまでは、昼食で集まっても全員無口で疲れ切っていて、しても仕事の話だけだったので、ようやく乗り越えた感がある。
基本、冷静でいつも変わらない坂東は無駄口も余裕でする方だが、今日はみんな落ち着いているというのを実感したのか、高笑いをしている。
純粋に楽しそうだ。
その顔を見て、香月もほっとして野菜ジュースを一口飲んだ。SSチームは本社から昼食が出るので、基本皆同じ弁当を注文している。同じ釜の飯という仲になってはや、2か月になるが、ホテル暮らしにも慣れたし、男性メンバーにもそこそこ慣れたし、女子は女子でまあまあだし、なんとかやっていけそうだという自信をつけてきていた。
今までしてきた業務内容がそのまま生かされるというよりは、今までのことをほんの基礎にして売り場を作るというチームなので、力不足なのは毎度感じているが、それでも廣瀬と増田が手厚いファローをしてくれるので、ちゃんとついていけている。
歌川はというと、担当が違うので作業を一緒にすることはあまりないが、それでも男性に混じってちゃんとできているようだ。しかも、男性の取り入り方がうまい。歌川の場合はそこを買われたのかもしれない、と思うほどにうまく馴染んていた。
ただ、媚を売る、ではなく、取り入ると評価できるのは、彼氏がいる、と公言しているからである。サラリーマンの彼氏が話の中によく登場し、ぞっこんなのは皆承知なのだ。そしてその彼氏の話に嫌味はなく、普通のサラリーマンで優しい人、という特にツッコミどころも妬みどころもない。
増田は時々、「私も彼氏欲しいなあ」と呟くが、それに対して歌川は「そうなんですねえ」とさらりと流すにとどめているし、わりときちんと輪を保とうとしているとろこも大きな要素だ。
香月的にはそれよりも、坂東と草薙の仲が時々気になる。廣瀬や増田は、仲は良かったけど、男男女の仲では絶対になかったと言い切るが、何故か坂東は草薙を好きだったんじゃないかという気がして、いや、それならうまくいきそうなのに、高飛車な草薙を坂東が優しく抱擁する、という図式が成り立つ気がしてならくなっていた。
食事を終えて、そろそろ身体が一段落したので、席を立つ。SSチームには休憩時間が確固として決められているわけではないので、自分で管理しなければならない。
それも最初は自分で40分とか時間を見ていたのだが、今では周囲の雰囲気と自分の体調で動けるようになってきた。
ドアを開けて、廊下を歩く。明日は休みだが、家に帰ってもすることがないし、今週はこのままホテルに泊まろうかなと決めかねていたところへ、背後から
「香月」
と、坂東の低い声に呼び止められた。
「はい」
そのまま振り向く。
「ん」
「……え?」
差し出されたのは、坂東の携帯電話。カバーも何もついていない、シンプルな携帯だ。
「その写真を見てくれ」
写真? 他店の良いレイアウトのフロアの写真かなと思って遠慮なしに、自分で画面にタッチして見たが、知らないサラリーマンの男性2人が居酒屋で並んで座っているだけだった。
「…………」
言葉が見つからなくて、そのまま坂東を見上げる。190センチ100キロはありそうな巨体の、視線は、こちらを見てはおらず、どうやらこちらの手の中の自分の携帯を見つめているようだった。
「……え? なんですか?」
香月は半分笑いながら聞いた。
「右に映ってるやつが、俺の後輩だ。で、左が同僚」
「……はい」
「本社の総務課だ」
「へー……」
もう一度顔を見てみたが、全く知らない。後輩と言ったが、どちらも随分年は若く、40を過ぎた坂東よりも、一回りは若いだろう。
「ま、そういうことだ」
「え?」
こちらの言葉を待たずに、坂東は大きな分厚い手で携帯を取ると、ポケットにしまう。
「明日休みだな」
「あ、はい」
「今日飯でも行くか」
明日はホテルに留まることに、即座に決める。
「あ、はい!大丈夫です!」
絶対に草薙のことを聞き出してやろうと決め込んで、意気込む。
「場所は近くの居酒屋ならどこでもいいな」
「はい、お任せしてもいいですし、私が予約しても構いません」
「いや、いい、予約はしてもらうことにするから」
「……して?」
「あ、そうだ……商品の発注してねえや……」
坂東は先を急いで仕事に戻ってしまう。
予約はしてもらうことにする、ということは、他に誰か呼んでいるのかもしれない。そうなった場合草薙のことが聞けなくなるが、まあでも、誰がいてもその話題はさりげなく出してやろうと、香月は内心ほくそ笑んだ。
坂東との約束の時間は特になく、仕事が終わったらということだったが、なるべく早く切り上げて休もうと思っていたがそんな日に限ってうまくいかず、店を出たのは既に23時近くになっていた。
坂東は19時に既に上がっている。それでもホテルが同じだから飲むくらいはできると気楽な気持ちで待ち合わせの居酒屋へ向かう。向かう前に電話をしたが、もちろん既に飲んでおり、まあ、こちらがいなくてももちろん楽しめる人だろうし、誰かと先に行っているんだろうと思って、軽く合流した。
「……………え?」
小ぢんまりした居酒屋の一番奥の席の個室に入るなり、一時停止して、こちらを見ない坂東を見てしまう。
「と……」
既に一緒にいたのは、香月の全く知らないサラリーマン2人だった。
てっきりチームの誰かと一緒にいると思っていたが、ひょっとしたら、応援とか視察に来ていた本社の人か取引先のメーカーの人なのかもしれない。
ここに来て、もっと早く仕事を切り上げれば良かったと心底後悔した。
「すみません、遅れて申し訳ありません!!」
頭を下げて、精一杯謝る。
「いんだよ。謝るほどのヤツじゃねえから」
坂東の一言に助けられるように、頭を上げる。
「なんか僕たちもすみません、突然で……」
坂東の前に座っているメガネの男性が頭を下げた。
しかし、その隣の男性に至っては若干俯いて、正座をしている。
「…………」
香月は仕方なく坂東を見つめた。
「ん? 思いださねえか、そいつら」
えらく上から目線だが、恐縮している2人を待たせて、頭で検索する余裕もなく、
「ど、どなたです?」
素直に聞き返す。
「昼見せたろ。写真」
「ああ!!」
ようやくピンときた香月は、2人の顔をしげしげと眺めた。かといって、写真の顔かどうか、完全に一致したわけではないが、左手の正座の男性がまあまあのイケメンだった記憶から、おおよそ右のメガネの男性も同一人物だろうと推測する。
「あ、はい……」
それでも時間が余り、坂東を見返した。彼はこちらを見ず、メニュー表を取ると、
「何飲む?」
「えっと……」
とりあえず、酎ハイを頼む。食べ物はテーブルの上にある物で十分そうだ。
だが、坂東に新しい物を頼めと言われ、仕方なく豆腐と枝豆を注文する。
商品が来る間、お互い自己紹介し、向かって左側が日向(ひなた)総務部総務課主任で、左側のメガネが鈴木(すずき)同課長だということが分かった。鈴木が1つ上の先輩らしい。
そして店員に酎ハイを手渡されたところでラストオーダーだと言い渡され、残り時間が少ないことを意識しながら
「じゃ、カンパーイ」
と、とりあえず開始した。
「この後どうするよ?」
まだ酎ハイを一口飲んだところなのに、坂東は次の行先を模索し始めた。
「えっと……」
困った鈴木がこちらを見た。
「え、いえ、私はもうこれで大丈夫です!」
何故こんなところに呼ばれたのか分からないままに、二次会に行く気など到底ない。ラストオーダーの具合が丁度良いことが今は最高の救いだった。
「だとよ……」
坂東はしらっと言い切るが、
「酎ハイってことは今日はホテルだろ?」
と、思い出したように聞いてくる。
「あ、はい。今回は用事もないし、一日休みなのでもうホテルで休もうかと」
「そうだなあ、帰ると逆にしんどいんだよなあ」
「そうですねえ……」
「俺も明日休みだけど、ホテルにいることにしてる。だから、この後もう一軒行くが、どうする?」
「えっと、いえ、私は……」
ちら、とサラリーマン達を見た。
「いや、もうこいつらは帰るから」
「いえ、僕たちも参加できますよ?」
鈴木が口を挟んだ。
「どうする? 4人でもう一軒行くか?」
「いえ、私は……」
坂東の真意が全く見えないが、とにかく4人で行きたいという気分ではない。
「じゃあそのまま帰るか?」
「うーん、まあ……」
かといって、まだ飲み始めたばかりなのに既にラストオーダーを言い渡されている。
香月は、手がつけられたばかりの豆腐を眺めた。
「こいつらは返すから、隣のホテルのラウンジでも行くか?」
「隣のホテル」
香月達が停泊しているのはビジネスホテルだが、その隣に高級ホテルがあったことを即座に思い出し、坂東を見返した。
「あそこは遅くまでやっているから、今から行っても十分間に合うだろ」
「何時までですか?」
「2時」
「いいですね」
高級ホテルに騙され、口が滑ってしまう。
「いやでも、私はいつでも構いませんので。今日はせっかく坂東主任のお友達が来られてるんじゃないんですか?」
「いんだよ。お前が行きたきゃ4人で行っても構わねえってみんな思ってんのに」
どういう話の流れで、何故私に責任を持ってこようとするのか分からず、少しかちんときたのので、
「私は、坂東主任に少し仕事のご相談があっただけで。……それだけですから」
そう言い切っておく。
「あ、あの香月さん」
前にいる日向が初めて声を出した。
「はい」
彼はまだ正座を崩さず、身体を固まらせている。
「あの、僕は今本社の総務課でいます。
あの、この前初めてあなたをお見掛けしました」
その、かしこまった具合からしてもどういう人間なのか全く読めず、しかもガチガチに緊張しているようだし、相当酔っているのかなんなのか。
香月は話しかけられているのにも関わらず、ただ黙って見届けることにする。
「……」
「見かけたんだって。この前っていっても、本社で初めての顔合わせがあったろ。2か月前。あの時」
坂東の助け舟に、
「ああ……」
確かに本社には行った。まあ、総務ならその時見たのかもしれない。
「それでですね、今日はご無理を言って、課長の先輩である坂東さんにご無理を言って、香月さんをお呼びしていただいた次第なんです」
香月よりまだ少し若いだろうにバカ丁寧な口の利き方は、おそらく飲んでいるからだろう。
「あ、へぇ……」
相手の年がいくつなんだろうと思ってしまったせいで、話の内容が理解できないまま相槌を打つ。
「…………」
誰も何も言わない。
坂東は既にビールを飲み干してしまっているし、腹もいっぱいなのか、両手を後ろについて、足を放り出し、そそっぽを向いている。
鈴木は鈴木で、何が言いたいのか、こちらを見ながら軽く頷いているし。
「あ、あのー……」
耐え切れずに、香月は坂東に話しかけた途端、
「僕はあなたが好きなんです!」
部屋中にその声が響いた。
「…………」
あらぬ展開に、香月は日向を見た。
「本社で見かけた時から。本当に僕はあなたが……」
「…………」
「あなたが好きで、好きなんです。ほんとに、僕でよかったら……よろしかったら、お付き合いして下さい!」
そういう会が仕組まれていたことに今気づいた香月は、食べ散らかされたテーブルに視線を落とした後、坂東の方を大きく向いた。
「……………」
数秒しらんふりをしていた坂東も、ようやく沈黙に耐えきれなくなったのか、こちらを向き、
「ほら、言ってるぞ」
半分笑っている。
一気に面倒臭くなった香月は、目の前の酎ハイやら豆腐を放棄することに決め、
「すみません、お付き合いはできません」
と、言い切る。
「…………」
誰も何も言わない、その数秒の間に耐えられず、
「じゃあ私、そろそろ帰りますね。ラストオーダーだし」
言いながら、これみよがしに財布を出そうとバックを手に取った途端、坂東は
「いーよ。俺が払うから」とポケットから折りたたまれた千円をテーブルの端に出す。
「後は、こいつらのおごり。俺も帰るわ。じゃあな、ごっそさん」
素早く坂東は障子を開け、出て行こうとする後ろで鈴木が、
「あ、どうも……すみません……」
とだけ、か細く言った。
「なんなんですか、あれは」
既に歩いてホテルのラウンジへと迎う香月の隣で、坂東はくくくと笑い、
「なんでしょうねえ~」
と、とぼけた。
「というか、そういう話ならそういう話って昼に言って下さいよ!」
「写真見せたろ?」
「だけど、あの写真がなんだって言わなかったじゃないですか!」
「言ったら来ねえと思ったし、後輩には連れてくってとりあえず約束したし」
「なんで連れてくなんて約束したんですか。来ないと思ったのに」
「いやでも、香月もそういう……そのまあ、どうなるかは本人次第だけど、その、出会いを提供すするくらいしてもバチは当たらんかなあと。いや、俺だってお前があいつらと付き合うとは思ってねーよ?
そんな附和専務とどうこうなってるお前が」
酔ってお前よばわりしてきたのか、話が親密になってきたのでそう言っただけかは分からなかったが、
「附和専務のせいじゃありませんよ。私がお断りしたのは」。
「だろうとは思うけど」
その声が妙に真剣で、香月はつい笑ってしまった。
「社内ってとこはクリアなわけ?」
「うーん、そういうのはあんまり気にならないですけど、出会って突然そんな事言われても」
「いや、好みだったらだったでそれなりに盛り上がったとは思うけど。普段附和専務みたいなやつと一緒にいると、あぁいうのは霞んで見えるわな、とは思う」
そうなのだろうか、とつい自問してしまう。
「うーん、さあ、どうでしょうか」
「実際専務と付き合ってんのか?」
「そんなまさか。入社する前からの知り合いというだけです」
「今男は?」
「いません」
「さっきのヤツが彼氏になるってとこは想像できねえなあ。まだ附和専務の方がぴったりくるわ」
何度も附和専務を連呼されてさすがに白けてきたので、
「さっきの人と何か他にもし、出会いがあればそれなりに好きになることもあったのかもしれませんけど、今は全くないですね。もちろん今後もないです」
「つーことは、今のが失敗だった?」
「さあ……、少なくも4人で一緒にどこかへ行こうとは思いませんでしたけど」
2人はホテルのラウンジに着き、それなりに人がいる店のソファの一角に腰かけて、飲み始めることにした。
坂東は見た目の通り酒も強いようで、まだ序の口だという。
香月は坂東を酔わせて草薙のことを切り出すのもありだと思い、そのままにしておいた。むしろさっきの仕返しとして、草薙のことを攻め立てたい。
仕事のことを話してから再び草薙のことを聞き出すのは困難だと思い、そのまま同じ話の流れのように、
「坂東主任は、彼女はいないんですか?」
と、早々に聞く。
「何? 興味あるの?」
と、いう時間稼ぎをしてくるだけで、香月はおかしくて笑った。
「ありますよ。めちゃくちゃ」
運ばれてきたソルティドックに口をつける。
「いやあ、どうかなあ……」
何をそんなにもったいぶっているのかと不思議に思うほどのもったいぶりだ。
ハイボールも、来たばかりなのに既に半分くらい減っている。
「はい」
香月は笑顔で待つ。
「そうだなあ……」
「はい」
「まあなあ……」
「はい」
「まあ……ちょーっと……」
「いないんですね」
「そうだよ。……そのどこが悪い」
笑いが止まらない。
「いや、そんな感じしますもん」
「女いないっていう?」
「けど、好きな人はいるっていう」
目を見て言いきった。が、ちっともたじろがない。
「草薙じゃねえよ」
「えっ、そうなんですか?」
先手を取られた香月は、急に面白くなくなって、テンションを下げた。
「廣瀬に聞いたろ。草薙とどんな仲だったか」
「え、だって。お店では話題になってましたよ」
「合うと思うか?」
確かに、天才美人の26歳と、100キロの巨体40歳では、到底つり合いが取れない。
「まあ……」
「どんな噂か知らんが、あり得ねーよ」
「確かに……」
本人に言われる以上に納得することはない。
香月は、急速に冷めながら、そして、酒に酔いながら、ぼんやり口を閉ざした。
「お前こそ、本当に専務と何もねーのか?」
「附和専務ですか? あるわけないですよ。私はどちらかというと苦手なんです。けどまあ、頼りにできる時もあるから仕方なくっていう」
「まあ、親会社の専務だからな。九条専務とはまたわけが違う」
「……ですかねえ……」
そういう風に附和のことを言い出すと、次会った時やりにくくなるから嫌なのだが。
「あ、そうだ。勝己部長のことなんですけど」
坂東が一瞬停止したような気がしたが、すぐにグラスを口につける。
「本社にもやっぱり行ってるんですよね?」
「やっぱり行ってるって?」
「だから……打合せというか」
「そりゃ行ってるだろう、増築や改装より新店はだいぶ忙しかったから、堪えただろうよ」
それは、香月でも分かっている。だがそれを夫として香織にも説明してほしいと思ったが、まあ、本社に行くときちんと説明はしているようだし、事実しても本社でどのくらい時間がかかるとか、少しくらい帰って来られるとか思うのは分かる。
だが、実際身体はくたくただし、勝己よりも一回り近く若い香月でも明日は家に帰りたくないくらいだ。なかなか、体力と思いが一致しないのだろう。
かといって、家族がこちらに来てもらうとか、そういうことも緊張が途切れてしまいそうで嫌だとか思っているのかもしれない。
緊張が途切れたら途切れたで良いとも思うが、店はずっと開いているし、流れというものがあるので同じ状態のまま仕事に臨みたいのだろう。部長ならそういう思いが強くても仕方ないし、そもそも、新店がオープンするかどうかが自分の腕にかかっているとしたら、そのプレッシャーは並大抵のものではないと思う。
「なんだ? 部長がどうした」
坂東が聞いてきたが、香織が不安に思っていることを言ってはいけない気がしたし、それ以以上その話題は追及しないことにする。
慣れない仕事続きの香月もベテラン達も、オープン2週間経過してようやくお昼の休憩中に笑いが出るようになってきた。
それまでは、昼食で集まっても全員無口で疲れ切っていて、しても仕事の話だけだったので、ようやく乗り越えた感がある。
基本、冷静でいつも変わらない坂東は無駄口も余裕でする方だが、今日はみんな落ち着いているというのを実感したのか、高笑いをしている。
純粋に楽しそうだ。
その顔を見て、香月もほっとして野菜ジュースを一口飲んだ。SSチームは本社から昼食が出るので、基本皆同じ弁当を注文している。同じ釜の飯という仲になってはや、2か月になるが、ホテル暮らしにも慣れたし、男性メンバーにもそこそこ慣れたし、女子は女子でまあまあだし、なんとかやっていけそうだという自信をつけてきていた。
今までしてきた業務内容がそのまま生かされるというよりは、今までのことをほんの基礎にして売り場を作るというチームなので、力不足なのは毎度感じているが、それでも廣瀬と増田が手厚いファローをしてくれるので、ちゃんとついていけている。
歌川はというと、担当が違うので作業を一緒にすることはあまりないが、それでも男性に混じってちゃんとできているようだ。しかも、男性の取り入り方がうまい。歌川の場合はそこを買われたのかもしれない、と思うほどにうまく馴染んていた。
ただ、媚を売る、ではなく、取り入ると評価できるのは、彼氏がいる、と公言しているからである。サラリーマンの彼氏が話の中によく登場し、ぞっこんなのは皆承知なのだ。そしてその彼氏の話に嫌味はなく、普通のサラリーマンで優しい人、という特にツッコミどころも妬みどころもない。
増田は時々、「私も彼氏欲しいなあ」と呟くが、それに対して歌川は「そうなんですねえ」とさらりと流すにとどめているし、わりときちんと輪を保とうとしているとろこも大きな要素だ。
香月的にはそれよりも、坂東と草薙の仲が時々気になる。廣瀬や増田は、仲は良かったけど、男男女の仲では絶対になかったと言い切るが、何故か坂東は草薙を好きだったんじゃないかという気がして、いや、それならうまくいきそうなのに、高飛車な草薙を坂東が優しく抱擁する、という図式が成り立つ気がしてならくなっていた。
食事を終えて、そろそろ身体が一段落したので、席を立つ。SSチームには休憩時間が確固として決められているわけではないので、自分で管理しなければならない。
それも最初は自分で40分とか時間を見ていたのだが、今では周囲の雰囲気と自分の体調で動けるようになってきた。
ドアを開けて、廊下を歩く。明日は休みだが、家に帰ってもすることがないし、今週はこのままホテルに泊まろうかなと決めかねていたところへ、背後から
「香月」
と、坂東の低い声に呼び止められた。
「はい」
そのまま振り向く。
「ん」
「……え?」
差し出されたのは、坂東の携帯電話。カバーも何もついていない、シンプルな携帯だ。
「その写真を見てくれ」
写真? 他店の良いレイアウトのフロアの写真かなと思って遠慮なしに、自分で画面にタッチして見たが、知らないサラリーマンの男性2人が居酒屋で並んで座っているだけだった。
「…………」
言葉が見つからなくて、そのまま坂東を見上げる。190センチ100キロはありそうな巨体の、視線は、こちらを見てはおらず、どうやらこちらの手の中の自分の携帯を見つめているようだった。
「……え? なんですか?」
香月は半分笑いながら聞いた。
「右に映ってるやつが、俺の後輩だ。で、左が同僚」
「……はい」
「本社の総務課だ」
「へー……」
もう一度顔を見てみたが、全く知らない。後輩と言ったが、どちらも随分年は若く、40を過ぎた坂東よりも、一回りは若いだろう。
「ま、そういうことだ」
「え?」
こちらの言葉を待たずに、坂東は大きな分厚い手で携帯を取ると、ポケットにしまう。
「明日休みだな」
「あ、はい」
「今日飯でも行くか」
明日はホテルに留まることに、即座に決める。
「あ、はい!大丈夫です!」
絶対に草薙のことを聞き出してやろうと決め込んで、意気込む。
「場所は近くの居酒屋ならどこでもいいな」
「はい、お任せしてもいいですし、私が予約しても構いません」
「いや、いい、予約はしてもらうことにするから」
「……して?」
「あ、そうだ……商品の発注してねえや……」
坂東は先を急いで仕事に戻ってしまう。
予約はしてもらうことにする、ということは、他に誰か呼んでいるのかもしれない。そうなった場合草薙のことが聞けなくなるが、まあでも、誰がいてもその話題はさりげなく出してやろうと、香月は内心ほくそ笑んだ。
坂東との約束の時間は特になく、仕事が終わったらということだったが、なるべく早く切り上げて休もうと思っていたがそんな日に限ってうまくいかず、店を出たのは既に23時近くになっていた。
坂東は19時に既に上がっている。それでもホテルが同じだから飲むくらいはできると気楽な気持ちで待ち合わせの居酒屋へ向かう。向かう前に電話をしたが、もちろん既に飲んでおり、まあ、こちらがいなくてももちろん楽しめる人だろうし、誰かと先に行っているんだろうと思って、軽く合流した。
「……………え?」
小ぢんまりした居酒屋の一番奥の席の個室に入るなり、一時停止して、こちらを見ない坂東を見てしまう。
「と……」
既に一緒にいたのは、香月の全く知らないサラリーマン2人だった。
てっきりチームの誰かと一緒にいると思っていたが、ひょっとしたら、応援とか視察に来ていた本社の人か取引先のメーカーの人なのかもしれない。
ここに来て、もっと早く仕事を切り上げれば良かったと心底後悔した。
「すみません、遅れて申し訳ありません!!」
頭を下げて、精一杯謝る。
「いんだよ。謝るほどのヤツじゃねえから」
坂東の一言に助けられるように、頭を上げる。
「なんか僕たちもすみません、突然で……」
坂東の前に座っているメガネの男性が頭を下げた。
しかし、その隣の男性に至っては若干俯いて、正座をしている。
「…………」
香月は仕方なく坂東を見つめた。
「ん? 思いださねえか、そいつら」
えらく上から目線だが、恐縮している2人を待たせて、頭で検索する余裕もなく、
「ど、どなたです?」
素直に聞き返す。
「昼見せたろ。写真」
「ああ!!」
ようやくピンときた香月は、2人の顔をしげしげと眺めた。かといって、写真の顔かどうか、完全に一致したわけではないが、左手の正座の男性がまあまあのイケメンだった記憶から、おおよそ右のメガネの男性も同一人物だろうと推測する。
「あ、はい……」
それでも時間が余り、坂東を見返した。彼はこちらを見ず、メニュー表を取ると、
「何飲む?」
「えっと……」
とりあえず、酎ハイを頼む。食べ物はテーブルの上にある物で十分そうだ。
だが、坂東に新しい物を頼めと言われ、仕方なく豆腐と枝豆を注文する。
商品が来る間、お互い自己紹介し、向かって左側が日向(ひなた)総務部総務課主任で、左側のメガネが鈴木(すずき)同課長だということが分かった。鈴木が1つ上の先輩らしい。
そして店員に酎ハイを手渡されたところでラストオーダーだと言い渡され、残り時間が少ないことを意識しながら
「じゃ、カンパーイ」
と、とりあえず開始した。
「この後どうするよ?」
まだ酎ハイを一口飲んだところなのに、坂東は次の行先を模索し始めた。
「えっと……」
困った鈴木がこちらを見た。
「え、いえ、私はもうこれで大丈夫です!」
何故こんなところに呼ばれたのか分からないままに、二次会に行く気など到底ない。ラストオーダーの具合が丁度良いことが今は最高の救いだった。
「だとよ……」
坂東はしらっと言い切るが、
「酎ハイってことは今日はホテルだろ?」
と、思い出したように聞いてくる。
「あ、はい。今回は用事もないし、一日休みなのでもうホテルで休もうかと」
「そうだなあ、帰ると逆にしんどいんだよなあ」
「そうですねえ……」
「俺も明日休みだけど、ホテルにいることにしてる。だから、この後もう一軒行くが、どうする?」
「えっと、いえ、私は……」
ちら、とサラリーマン達を見た。
「いや、もうこいつらは帰るから」
「いえ、僕たちも参加できますよ?」
鈴木が口を挟んだ。
「どうする? 4人でもう一軒行くか?」
「いえ、私は……」
坂東の真意が全く見えないが、とにかく4人で行きたいという気分ではない。
「じゃあそのまま帰るか?」
「うーん、まあ……」
かといって、まだ飲み始めたばかりなのに既にラストオーダーを言い渡されている。
香月は、手がつけられたばかりの豆腐を眺めた。
「こいつらは返すから、隣のホテルのラウンジでも行くか?」
「隣のホテル」
香月達が停泊しているのはビジネスホテルだが、その隣に高級ホテルがあったことを即座に思い出し、坂東を見返した。
「あそこは遅くまでやっているから、今から行っても十分間に合うだろ」
「何時までですか?」
「2時」
「いいですね」
高級ホテルに騙され、口が滑ってしまう。
「いやでも、私はいつでも構いませんので。今日はせっかく坂東主任のお友達が来られてるんじゃないんですか?」
「いんだよ。お前が行きたきゃ4人で行っても構わねえってみんな思ってんのに」
どういう話の流れで、何故私に責任を持ってこようとするのか分からず、少しかちんときたのので、
「私は、坂東主任に少し仕事のご相談があっただけで。……それだけですから」
そう言い切っておく。
「あ、あの香月さん」
前にいる日向が初めて声を出した。
「はい」
彼はまだ正座を崩さず、身体を固まらせている。
「あの、僕は今本社の総務課でいます。
あの、この前初めてあなたをお見掛けしました」
その、かしこまった具合からしてもどういう人間なのか全く読めず、しかもガチガチに緊張しているようだし、相当酔っているのかなんなのか。
香月は話しかけられているのにも関わらず、ただ黙って見届けることにする。
「……」
「見かけたんだって。この前っていっても、本社で初めての顔合わせがあったろ。2か月前。あの時」
坂東の助け舟に、
「ああ……」
確かに本社には行った。まあ、総務ならその時見たのかもしれない。
「それでですね、今日はご無理を言って、課長の先輩である坂東さんにご無理を言って、香月さんをお呼びしていただいた次第なんです」
香月よりまだ少し若いだろうにバカ丁寧な口の利き方は、おそらく飲んでいるからだろう。
「あ、へぇ……」
相手の年がいくつなんだろうと思ってしまったせいで、話の内容が理解できないまま相槌を打つ。
「…………」
誰も何も言わない。
坂東は既にビールを飲み干してしまっているし、腹もいっぱいなのか、両手を後ろについて、足を放り出し、そそっぽを向いている。
鈴木は鈴木で、何が言いたいのか、こちらを見ながら軽く頷いているし。
「あ、あのー……」
耐え切れずに、香月は坂東に話しかけた途端、
「僕はあなたが好きなんです!」
部屋中にその声が響いた。
「…………」
あらぬ展開に、香月は日向を見た。
「本社で見かけた時から。本当に僕はあなたが……」
「…………」
「あなたが好きで、好きなんです。ほんとに、僕でよかったら……よろしかったら、お付き合いして下さい!」
そういう会が仕組まれていたことに今気づいた香月は、食べ散らかされたテーブルに視線を落とした後、坂東の方を大きく向いた。
「……………」
数秒しらんふりをしていた坂東も、ようやく沈黙に耐えきれなくなったのか、こちらを向き、
「ほら、言ってるぞ」
半分笑っている。
一気に面倒臭くなった香月は、目の前の酎ハイやら豆腐を放棄することに決め、
「すみません、お付き合いはできません」
と、言い切る。
「…………」
誰も何も言わない、その数秒の間に耐えられず、
「じゃあ私、そろそろ帰りますね。ラストオーダーだし」
言いながら、これみよがしに財布を出そうとバックを手に取った途端、坂東は
「いーよ。俺が払うから」とポケットから折りたたまれた千円をテーブルの端に出す。
「後は、こいつらのおごり。俺も帰るわ。じゃあな、ごっそさん」
素早く坂東は障子を開け、出て行こうとする後ろで鈴木が、
「あ、どうも……すみません……」
とだけ、か細く言った。
「なんなんですか、あれは」
既に歩いてホテルのラウンジへと迎う香月の隣で、坂東はくくくと笑い、
「なんでしょうねえ~」
と、とぼけた。
「というか、そういう話ならそういう話って昼に言って下さいよ!」
「写真見せたろ?」
「だけど、あの写真がなんだって言わなかったじゃないですか!」
「言ったら来ねえと思ったし、後輩には連れてくってとりあえず約束したし」
「なんで連れてくなんて約束したんですか。来ないと思ったのに」
「いやでも、香月もそういう……そのまあ、どうなるかは本人次第だけど、その、出会いを提供すするくらいしてもバチは当たらんかなあと。いや、俺だってお前があいつらと付き合うとは思ってねーよ?
そんな附和専務とどうこうなってるお前が」
酔ってお前よばわりしてきたのか、話が親密になってきたのでそう言っただけかは分からなかったが、
「附和専務のせいじゃありませんよ。私がお断りしたのは」。
「だろうとは思うけど」
その声が妙に真剣で、香月はつい笑ってしまった。
「社内ってとこはクリアなわけ?」
「うーん、そういうのはあんまり気にならないですけど、出会って突然そんな事言われても」
「いや、好みだったらだったでそれなりに盛り上がったとは思うけど。普段附和専務みたいなやつと一緒にいると、あぁいうのは霞んで見えるわな、とは思う」
そうなのだろうか、とつい自問してしまう。
「うーん、さあ、どうでしょうか」
「実際専務と付き合ってんのか?」
「そんなまさか。入社する前からの知り合いというだけです」
「今男は?」
「いません」
「さっきのヤツが彼氏になるってとこは想像できねえなあ。まだ附和専務の方がぴったりくるわ」
何度も附和専務を連呼されてさすがに白けてきたので、
「さっきの人と何か他にもし、出会いがあればそれなりに好きになることもあったのかもしれませんけど、今は全くないですね。もちろん今後もないです」
「つーことは、今のが失敗だった?」
「さあ……、少なくも4人で一緒にどこかへ行こうとは思いませんでしたけど」
2人はホテルのラウンジに着き、それなりに人がいる店のソファの一角に腰かけて、飲み始めることにした。
坂東は見た目の通り酒も強いようで、まだ序の口だという。
香月は坂東を酔わせて草薙のことを切り出すのもありだと思い、そのままにしておいた。むしろさっきの仕返しとして、草薙のことを攻め立てたい。
仕事のことを話してから再び草薙のことを聞き出すのは困難だと思い、そのまま同じ話の流れのように、
「坂東主任は、彼女はいないんですか?」
と、早々に聞く。
「何? 興味あるの?」
と、いう時間稼ぎをしてくるだけで、香月はおかしくて笑った。
「ありますよ。めちゃくちゃ」
運ばれてきたソルティドックに口をつける。
「いやあ、どうかなあ……」
何をそんなにもったいぶっているのかと不思議に思うほどのもったいぶりだ。
ハイボールも、来たばかりなのに既に半分くらい減っている。
「はい」
香月は笑顔で待つ。
「そうだなあ……」
「はい」
「まあなあ……」
「はい」
「まあ……ちょーっと……」
「いないんですね」
「そうだよ。……そのどこが悪い」
笑いが止まらない。
「いや、そんな感じしますもん」
「女いないっていう?」
「けど、好きな人はいるっていう」
目を見て言いきった。が、ちっともたじろがない。
「草薙じゃねえよ」
「えっ、そうなんですか?」
先手を取られた香月は、急に面白くなくなって、テンションを下げた。
「廣瀬に聞いたろ。草薙とどんな仲だったか」
「え、だって。お店では話題になってましたよ」
「合うと思うか?」
確かに、天才美人の26歳と、100キロの巨体40歳では、到底つり合いが取れない。
「まあ……」
「どんな噂か知らんが、あり得ねーよ」
「確かに……」
本人に言われる以上に納得することはない。
香月は、急速に冷めながら、そして、酒に酔いながら、ぼんやり口を閉ざした。
「お前こそ、本当に専務と何もねーのか?」
「附和専務ですか? あるわけないですよ。私はどちらかというと苦手なんです。けどまあ、頼りにできる時もあるから仕方なくっていう」
「まあ、親会社の専務だからな。九条専務とはまたわけが違う」
「……ですかねえ……」
そういう風に附和のことを言い出すと、次会った時やりにくくなるから嫌なのだが。
「あ、そうだ。勝己部長のことなんですけど」
坂東が一瞬停止したような気がしたが、すぐにグラスを口につける。
「本社にもやっぱり行ってるんですよね?」
「やっぱり行ってるって?」
「だから……打合せというか」
「そりゃ行ってるだろう、増築や改装より新店はだいぶ忙しかったから、堪えただろうよ」
それは、香月でも分かっている。だがそれを夫として香織にも説明してほしいと思ったが、まあ、本社に行くときちんと説明はしているようだし、事実しても本社でどのくらい時間がかかるとか、少しくらい帰って来られるとか思うのは分かる。
だが、実際身体はくたくただし、勝己よりも一回り近く若い香月でも明日は家に帰りたくないくらいだ。なかなか、体力と思いが一致しないのだろう。
かといって、家族がこちらに来てもらうとか、そういうことも緊張が途切れてしまいそうで嫌だとか思っているのかもしれない。
緊張が途切れたら途切れたで良いとも思うが、店はずっと開いているし、流れというものがあるので同じ状態のまま仕事に臨みたいのだろう。部長ならそういう思いが強くても仕方ないし、そもそも、新店がオープンするかどうかが自分の腕にかかっているとしたら、そのプレッシャーは並大抵のものではないと思う。
「なんだ? 部長がどうした」
坂東が聞いてきたが、香織が不安に思っていることを言ってはいけない気がしたし、それ以以上その話題は追及しないことにする。