パドックで会いましょう
競馬場デビュー


その時僕は、途方にくれていた。

職場の先輩に、半ば強引に誘われた競馬場の前で、腕時計を見るのはもう何度目だろう。

約束の時間を、もう20分も過ぎている。


つい先日こちらに越してきたばかりの僕は、職場の先輩に、日曜日に競馬場に行こうと誘われた。

この辺りはまだ慣れていなくて右も左もわからないのに、先輩は当たり前のように、競馬場前で9時に待ち合わせな、と言った。

仕方なく競馬場に行く交通手段や駅からの道のりを調べ、日曜の朝早くから家を出て、今に至る。


競馬場には続々と人の波が押し寄せ、どの人も競馬新聞やスポーツ新聞を片手に、目をギラギラさせている。

先輩、もしかして寝過ごしたのかな?

黙って待っているのもなんだからと電話を掛けようとした時、ポケットの中でスマホの着信音が鳴った。

「先輩!今どこですか?僕、ずっと待ってるんですけど!」

「すまんな、ちょっと事情があってな、行けんようになってしもた。おまえ、俺の代わりに馬券買(こ)うといてくれるか?」

「えぇっ…。」

「メインレース5ー7頼むわ。千円な。」

「そんな事言われても…。」

「頼むでえ!明日の昼飯奢ったるから!ほんじゃ、また明日な!!」

「ああっ、先輩!」


言いたい事だけ言うと、先輩は電話を切ってしまった。

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