毒舌王子に誘惑されて
1.人生にはまさかと言う名の坂がある
「佐藤。 ちょっといいか」

編集長に呼ばれ、フロアの奥の会議室へと向かう私の足取りは軽やかだった。

待ち望んでいた日がとうとう来たのだと信じて疑いもしなかった。



ストライプのシャツにノーネクタイ。
趣味のいいジャケットを羽織った編集長は40代も半ばだけど、中年太りなんてしてなくて、まだまだ現役の格好良さを維持している。

さすがは人気ファッション誌サブリナの編集長よね。


「副編集長の林の後任の件なんだが・・」

きた。

きた、きた、きたー。

私はこの日を待ってたの。


「まだ若いけど、小清水を抜擢しようと思うんだ」

ありがとうございます。
精一杯頑張ります。

用意していた言葉が口から出そうになったけど、慌てて飲み込む。

うん??

いま、何て言った?

小清水さんて、あの小清水さん?

私より2つも後輩の!?

絶望で目の前が真っ暗になる。



ーー後輩に先を越された。


この事実だけでも崖から突き落とされた気分なのに、編集長は非情にも更なる追い討ちをかけた。


「佐藤は週刊リアル編集部に異動が決まったから。来週からだから、頑張れよ」

ーー週刊リアル。

って、あのエロとラーメンと低俗ゴシップばかりの週刊誌よね。

あの雑誌、うちの出版社だったっけ?

何で、私が!?

編集長はその後も引き継ぎについて色々と話をしていたけど、ほとんど耳に入らなかった。


「人生にはまさかと言う名の坂がある」

結婚式なんかで、センスの欠片もないおっさんがよく言うあの格言。

今日ばかりはものすごく身に染みる。


佐藤 美織 30歳、思いがけないまさかに遭遇してしまいました。
< 2 / 100 >

この作品をシェア

pagetop