絶対、また彼を好きにはならない。
「ただいま~…」
部屋の電気が暗いから分かっていたことなのに、拓未がいるのかと思って声を出した自分がなぜか恥ずかしい。
今日は残業もなく帰ってこれたのだが、お昼の間宮さんの言葉が引っかかって、全然集中できなかった。
拓未はどこかに出かけているのか、まだ仕事が終わっていないのか。
ぼす。
ソファが私の体の形に凹む。
寝そべったときに目にかかった前髪がうざったい。
何も音がしない。
テレビをつける気にもならない。
部屋に一人でいると、拓未と再会したことも、自分が認識していた間宮さんとの信頼関係は彼からしたらなんでもなかったことも、
ぜんぶ夢の中の出来事みたいだった。
…もしかしたら、夢だったのかも。
夢であってほしいのかも、分からない。
時計の短針はもう少しで21時を指す。
いつのまにか、私は眠りについていたらしい。
***
優しくて、甘くて、柔らかい匂いに誘われて、瞼を開けた。
部屋の明かりに目を細めて、ゆっくりと目を鳴らしていく。
いつのまにか部屋の電気が点いていて、キッチンからコトコト音がする。
私はそっと体を起こし、目をこすった。
いつのまにか私の体には毛布がかけられていて、リビングの灯りもついている。
拓未は帰ってきたようで、時計は22時を回っていた。1時間以上も寝てしまったようだ。
せめてメイクを落とせばよかった。
コンタクトが目に張り付いている。
でも拓未にすっぴんは見られたくないなぁ、とぼんやり考える。
キッチンでは拓未がなにやら料理をしているようだった。
「た…くみ?」
「あ、おはよー。って、まだ夜だけど」
拓未はまた子供みたいにふふっと笑って、鍋に目を戻す。
意識がまだぼーっとしている。
何も食べていなかったので、お腹がぺちゃんこだ。
「この匂い…シチュー?」
拓未にそう聞くと、またにやっと笑う。
「そうだよ、咲耶好きじゃん」
なんだか落ち着く音。
また目がとろーんとし始めていた時、拓未がシチューをお皿に入れて持ってきてくれた。
私も手伝わなきゃ、と思い席を立とうとすると、「大丈夫だから!」とたしなめられる。
そうして小さな食卓にふたつの温かいシチューが並ぶと、2人でいただきますをした。
いろいろつっこみどころはあるけれど、とりあえず有り難く口に運んだ。
「なにこれおいしい!!」
「当たり前じゃん」
私が勢いよく感想を言ったことを馬鹿にするように拓未が被せる。
でもそんなことどうでもいいくらいおいしい。
「拓未ってこんなに料理上手だったっけ?!」
「俺出来ないことないから」
彼は平静を装っているが、自分でもなかなかの自信作だったようで、ほくほく食べている。
なんだか、不思議だ。
間宮さんに断ち切られたことだって、いじめはエスカレートしていることだって、今は全部、シチューが忘れさせてくれる。
子供の頃から大好きで、近所の洋食屋さんでいっつも食べていた。
拓未はほんとはハヤシライスが好きなのに、いっつも私に合わせてシチューを食べてくれた。
「なんか、懐かしい味がする」
私の言葉に、拓未はまた少し笑った。