密星-mitsuboshi-
ホテルを出ると潮の匂いが香った

ライトアップされていたレインボーブリッジは2つの主塔が水色の空に
真っ白く映えて昨夜とは違う印象を与えていた

拾ったタクシーに乗り込み早紀と渡瀬は東京駅へと向かった
タクシーから降りたらしばらく2人はただの“顔見知り”
先輩の上司で、部下の後輩 
それだけの関係

ずっとつないでいるこの手を離せば、
渡瀬は他の女の男となって
早紀は誰のものでもない女となる

お互いでそう感じているのか、タクシーの中で2人に言葉はなかった
東京駅近くの裏道でタクシーを降りると渡瀬は早紀の頭に手を置いた

「ちゃんと仕事に集中しろよ?」

「集中?」

「仕事中に俺の顔ばかり見てる
 んだろ?
 まぁいい男だからな。
 見ていたい気持ちもわかるけど」

渡瀬はそう言って口元だけ笑った

「そうね~
 確かにその素敵なお顔は
 仕事に支障をきたすから
 吉田課長にお願いして席を
 替えてもらおうかな
 そしたら今度は違うイケメ
 ンの顔がみえるかも」

早紀はそう言ってイタズラに笑いかけた
すると渡瀬は、近くのビルの壁に早紀の背中を押しつけて
その小さな顎を押し上げた

「だめだ。
 お前は俺のことだけ見てれ
 ばいい
 俺を見て、
 俺を想ってればいい」

「…冗談よっ
 大丈夫。
 あなたしか見えてないから」

早紀はこんな小さな冗談にも嫉妬する渡瀬がかわいくて
そのまま渡瀬の両頬に手を添えて唇を重ねた

唇を離すと、渡瀬は早紀を優しく抱きしめた

「お前が他の誰と居ても気になる
 悪いけど林田にさえ妬ける」
 
「林田さんに?
 彼は仲のいい先輩で
 それ以上でも
 それ以下でもない
 これまでも、これからもね。
 大丈夫」

早紀も渡瀬の背中に手をまわした

「ほら、もう行きましょ?
 ここからは課長が先に行って
 ください
 私は少しあとから行きます」

お互いの身体をやっとひき剥がすと、
渡瀬は早紀に背を向けて歩きだした



渡瀬から遅れること20分
早紀は東京駅から地下鉄に乗った

ドアのそばに立ってぼんやりしていると、
東京駅の次に停まる川名橋駅で、ドアが開いたときに乗り込んできた乗客の波に押されて
持っていたバッグが乗客達に挟まれた
力いっぱい引っ張ってもびくともしない
それどころか、奥へ行く人の流れにバッグと一緒に早紀の身体も引かれ始めた

「痛っ…」

腕に痛みが走った瞬間、
手先に人の手が触れた感覚があり、その後すぐに引っ張られていたバッグがすっと人の間を抜けた

「大丈夫か?」

聞き慣れた声が早紀のあたまの上近くで聞こえた
顔をあげると、そこにら林田の顔があった
川名橋駅から偶然早紀の立っていた扉から乗り込んだ林田は
人の間に挟まった早紀のバッグをうまく隙間を作って抜いてくれたのだ

「林田さん!」

「腕大丈夫か?
 まったく朝からボケっとして
 んなよっ」

「ごめん。
 ホントにありがとう」


林田とは誕生日会の夜にホームで話したのを最後に会話をしていなかった
意図していたわけではなく、なんとなくタイミングが合わなかった 
あれからまだ2日しかたってないというのに
その間に色々なことがありすぎたせいで、早紀は林田とこうやって気軽に話すのはだいぶ久々のように感じた

「ちょっとは元気になったか?」

「え?…あぁうん、
 ぜんぜん元気だよ」

「そっか。それならいいけど。
 …ところでお前、
 それどうしたの?」

「え?」

「それ」

林田が指差したのは、早紀のバッグの中から見えている小さな冊子だった
昨日の 美加が見せてくれた社報、返そうとバッグの中にしまっていたものが
さっきバッグがもみくちゃにされた時に少し飛び出ていたのだ

「それ
 篠山さんのインタビューが
 載ってる社報だろ?」

「あ、あぁうん。
 林田さんから篠山課長の話聞い
 てからどんな人なのかなって。
 同じ女性として興味がわいて
 美加さんに借りたの」

取って付けたような言い訳を言ってしまったことを後悔しながら、平静を装って社報をバッグの奥へとしまいこんだ

「ふーん」

刺さる視線に早紀は、林田の口からこれ以上の追求が出るのを避けようと別の話題を探す

「あ、そう言えば週末に
 渡瀬課長の家で飲みって
 言ってたよね?」

「あー?うん。日曜ね。」

「確かファイナンスの女の子も
 来るんだっけ?
 せっかくなら林田さんの好み
 の人がいたらいいね」

「…。俺としては野郎だけで
 飲みたかったけどねー
 その方が気楽で楽しいし」

「そーゆうもん?」

「そーゆーもんだよ」

「じゃあ、誕生日にあげた水歌を
 手土産に楽しんでおいでよ」

早紀が笑顔を見せると
丁度電車が木賀駅のホームに到着した
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