峭峻記


「禁紫香?あれは、使用を許可していなかったと思うが?そもそも、花街で争い事は御法度と何べん言わしたら気が済むんだ?その頭は、藁で出来ているのか?」

朱雅は長椅子に腰を下ろし、ひじ掛けに寄りかかる体勢で楽な姿勢をとる。

蘇芳も、その長椅子に腰を掛ける。
「いい機会だと思ってね。丁度いいから、禁紫香の効果がいかほどか試そうと思ったの。香によるこちらの被害はゼロよ。防毒面も必要がない。相手も毒香を浴びた事すら、気づかなかったわ。まぁ、撹蠧(こうと)も使ってたから、そっちの方に気を取られたでしょうしね。」

「撹蠧?それまで、使ったのか。無駄遣いしおって。経費がかさむ。櫂鉉あたりが、泣いているだろうな。」

「ふふふ。経費で頭を悩ますのは、櫂鉉じゃなくて朱雅でしょう?埋め合わせなら、するわよ?」
と、蘇芳は微笑して、どこか艷っぽく言ってみせる。
それを横目に、朱雅は冷たい視線を送る。

「禁紫香の薬効を調べた報告書を上げることが、埋め合わせか?おおかた、そのつもりで使ったんだろうがな。用意のいいことだ。」

花街で争いをすれば、当然朱雅は何らかの処罰を与える。これに限らず朱雅は、わずかでも付け入る隙があれば容赦なく責める。唯でさえ朱雅は、他人に厳しい人間。その人間が与える制裁はどれ程苛烈かというのは、言うまでもない。

起きた以上は、事実は覆らない
だから、あえて蘇芳は争いを利用して、新型の毒香の効能調査というお土産を用意し、時間に遅れたこと、花街での争い等は露ほども問題にならぬように仕向けた。さも自分は組織に貢献していると見せかけて。
 考えられるすべての事態を想定して、どう転んでも自分が優位に、あるいは難を回避できるように念には念を入れて用意周到に事を謀る。
誰にも付け入る隙を与えないように。
そうして、打った手段が禁紫香か。

「下手に隠蔽工作するより、いっそ開けっ広げに『仕事してました。』と言ったほうが手柄も増えて好都合と、お前が考えそうなことだ。ふふっ···見え透いた偽計を興じおって。子供騙しにも程がある。」

朱雅は、そう言うと蘇芳を見下すように眺めた。


「禁紫香の薬効だけじゃ足りなかったかしら?いずれは、する事だったはずよ?命じられるより先に気を遣って調査に乗り出したんだから、誉めて欲しいのだけど?なに?まさか使用許可していないからという理由で私を罰しますか?やりかねないわね朱雅だもの。そんなに、罰をくれなきゃ気が済まない?困った上司だわ。どう····」

言いながら、朱雅の方に身を乗り出していた蘇芳は、朱雅に口を手で塞がれる。

「喧しい。私から罰を受けたくないなら、どこぞで道草食わずに、はじめから遅れずに約束通り戻ってくればいい話だ。
無駄な小細工なんぞ、くどいだけだ。不要品だ」

そう言うと、朱雅は蘇芳に顔を近づける。

「さぁて、今回はどんな罰がよいだろう?蘇芳。うんときつく痛め付けてやろうか、それとも····」

朱雅は、蘇芳の口から手を離し、その手の指の背で、蘇芳の頬を撫で、こぼれた髪を耳に掛けさせ、耳の輪郭をなぞり、最後は蘇芳の耳飾りを軽く弾いた。

雫型の深藍色のその石は、弾くとキンと小さく鳴り、紅く光る。

朱雅は、言いかけた言葉の代わりに冷たい微笑を浮かべた。

いつもの感情のない冷たい鋭眼は変わらない。威圧感この上ない。けれどもその微笑する表情から、冷たさのなかに余裕めいた大人の艷さというか、彼の完璧過ぎるその美貌とあいまって冷たさのなかに妙な色気が醸し出されている。
それを見ていると、変な気分にさせられる

「····仕事を下さい。必ずやり遂げますので。それで勘弁して下さい。ありがたいことに、既に新しい任務依頼が来ているわけだし?」

そう言うと、蘇芳は朱雅の懐に視線をやる。文があるであろう場所を指差した。

朱雅は、文を取り出す。
それを蘇芳は取ろうとするが、朱雅にかわされる。
「仕事熱心なやつだ。いいだろう。だが、そのまえに。」

「まだ、何か?」

「ひとつ食わないか?」
そう言うと、朱雅は蘇芳に菓子らしき物体を差し出す。

「何、その芸術的な造形物。食べたら夢に出てきそうで怖いんだけど?」

「見た目はいびつだが、味は絶品だ。私のために、よく働く蘇芳にお裾分けしよう。甘味は好きだろ?お互いいろいろ不満もあるが、これでも食べてなかったことにして忘れようと言っている。さぁ食え。」

そう言うと、朱雅は菓子を食べてみせる。
そして、蘇芳にも差し出す。

「う、わかったわよ。食べたらいいんですね。忘れるんですね?」

蘇芳も怪訝そうに朱雅を見ながら、渋々ひとつ食べた。

が、


「············」
絶句した。
蘇芳は固まっている。
そうして、みるみる顔が青ざめていく。

「絶句するほど、絶品だったか?いろいろ忘れられたか?···知らないは、ある意味罪だな。蘇芳。蛛猛曰く、地獄を見る代物らしい。その様子を見ると、相当だな。」

そう言うと、朱雅は懐から懐紙を取り出すと、蘇芳に差し出す。

「ま、なかったことにして吐き出せ。」

しかし、蘇芳は反応がない。

その場に目を開けて硬直したまま動かない。どうやら、気絶したらしい。

つん、とつつくと、蘇芳が倒れた。
朱雅は、それを受け止める。

「ほう。奴の作ったゴミ菓子に利用価値が出来たな。一瞬で意識を失わせる威力か。なかなか使い道がありそうだ····」



そう言うと、朱雅は蘇芳を抱き上げて長椅子に寝かせる。


「まぁ、心配するな。死ぬことはない。不可抗力だ、しばらく寝とけ。」

そういうと、朱雅は来ていた背子を蘇芳にかけた。

そうして、立ち上がり部屋を出ようとする。
「ひとつ誉めてやる。お前の目の付け所だけはいい。」
振り向き様に、蘇芳を見て朱雅が囁いた。


知ってか知らずか。
わからないが、禁紫香の薬効を調べるという選択肢は、及第点。

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