ピーク・エンド・ラバーズ


彼が何か呟いたようだけれど、電車のせいで途中の音を拾えない。
聞き返せば、何でもないよ、と言われてしまった。その割に津山くんの表情は曇っていて、私まで心の中に霧がかかる。

電車に乗り込む時、さり気なく繋いでいた手を振り払うと、先程の力強さが嘘のようにすんなりと離された。彼の横顔は冴えない。

ほらね、と内心思う。
だから言ったでしょう。家に帰って好きなことをしていた方が何倍も楽しいはずだ。二時間も待った結果がこの気まずい空気だなんて、あまりにもお粗末すぎる。

労働で体は疲れているし、空気は最悪だし、心は休まらないし、散々だ。
一番恐ろしいのは、今この状態で津山くんに「面倒だ」という感情しか抱いていない自分自身だった。なんて薄情なんだろう、と他人事のように思う。


「津山くん。ここまででいいよ」


電車から降りて、改札を通る前にそう告げる。
彼は口を開きかけてやめ、黙って頷いた。


「加夏ちゃん」


背を向けて歩き出した途端、少しだけ切羽詰まったような声で呼ばれ、振り返る。


「……ううん、ごめん。何でもない。気を付けて」

「うん」


その時、全然「何でもなく」なくて、津山くんが本当は何か言いたいことがあったのも、分かっていた。
だけれど、今の私にきちんと聞いてあげられる余裕はなくて、自分本位にただ労働の疲れを癒すことだけ考えていた。

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