僕が君の愛

 初めて加織が店を訪れた時の光景を、明良は今でもはっきりと記憶していた。雪がチラつく寒い夜だったから。コートも羽織らず、半袖のニットに膝上のタイトスカートの女性が、ふらりと店に入ってきたあの日は。
 とびきりの美人と言う訳でもない。弾けるほど若い女の子でもない。甘い香りを身にまとっている訳でもない。にも関わらず、人をひきつける独特な色気が彼女にはあった。
 顎のラインで切りそろえられた黒髪を耳にかきあげる仕草。ちらりと覗くピアス。葉巻を挟む細い指。指先はネイルで綺麗に彩られ。吐き出した紫煙を眺める時の視線。縁取られた眸。彼女の魅力に気付く男性客も少なくなかった。
 当初は。葉巻の初心者であり、1人で訪れる女性客を気遣ってのことかと思っていた肇の態度。だが、時期が経つにつれ、その考えは改めさせられた。あれは、一個人としての想いからではないかと……。

 笑みをこぼした明良は、。空いている手で戸を開き、それに身体を預ける。

「さあ、どうぞ。美味しいものをお出ししますよ。オーナーも待ちかねているでしょうし」
「……ありがとうございます」

 明良の言葉に、加織は多少の逡巡を見せた。しかし、それは一瞬で。溜め息をひとつつき、感謝を述べたあと、明良があけたスペースを通り抜け店内へと足を踏み入れた。
 瞬間。加織の動きが止まる。目の前の現実を受け入れるために、処理機能が全て停止してしまったかのよう。次第強張ってゆく加織の表情。唇を強く噛み、搾り出すように言葉を紡ぐ。

「……明良くん、今日は2階に行きたいんですけど、いいですか?」

 加織の予想外の言葉に、明良は若干の戸惑いを見せる。通常ならば。女性の1人客を2階に上げることはまずない。更に、加織の好む席がカウンターであることも、明良は知っていたからだ。訝しながら、加織の背中越しに店内を見渡し、明良はひとり納得する。振り返った加織の眸を見ながら、明良は同意の頷きを返した。
 意図的に。カウンターを見ないように俯きながら階段ヘと向かう香織の後ろ姿。明良は思わず、小さな溜め息をこぼす。ドアに預けていた身体を引き戻し、荷物を抱えたままカウンター内へと入る。接客していたオーナーである肇の後ろへと回った。

「オーナー、何してるんですか。その手は」
「何してるって……見ての通り接客中だが?」
「……俺は知りませんからね」

 肇の耳元で呟き、明良はキッチンへと姿を消していった。
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