僕が君の愛

「2階の居心地はどうかな?」

 肇が目の前に立っていた。自分の思考にのまれ、周囲へ全く注意を払っていなかった加織は、肇が姿を現すまで気付くことができなかった。

「2階も素敵ですね。でも、今日はもう帰りますので。ごちそうさまでした」

 加織はソファーから立ち上がり、肇の隣を通り抜けようとした。が、熱い肇の手のひらが、加織の右腕を強い力で引き止めていた。
 あまりの力強さに加織の表情が歪む。加織が不快感を含めた視線を肇に向けたが、全く意に介する様子も見せず言葉を紡いだ。

「顔色が良くないね」

 肇の指が加織の頬を優しくなぞる。

「こんな風に……。肇さんは、優しくサービスをなさるんですか?お客様になら」
「……私の仕事はサービス業だからね。御代を頂いている以上、お客様には望まれればそれに見合うかぎり応えてゆきたいと思うものだけれど。それに何か問題でもあるのかな」

 返された肇の言葉に、加織は息をのむ。肯定されたという事実に。相手を試すために口から出た言葉。棘の疼きを誤魔化すための言葉。肇はそれを受け止めた。
 肯定されたことも、曖昧にかわされなかったことも。加織には驚きであった。
 言葉を口にせずに俯いてしまった加織を眺めながら、肇は小さく息を吐く。

「先日、私が言った言葉を覚えているかい?」
「あれも、常連客へのサービスですよね」
「……。なるほど」

 肇は片方の眉を僅かに上げる。。

「君がそう捉えたいのであれば、私には仕方のないことだ」

 加織は顔を僅かに上げ、肇を視界にとらえる。肇と加織の視線が合った瞬間、加織の腕にこめていた力が抜けた。その手が腰まで降り、抱え込む。胸の中に引き寄せて。加織の髪が掻き上げられ、顔を上に向かせられる。僅かに潤いを増し、鋭い視線を向ける加織の瞳には、肇の憂いを帯びた顔が映し出されていた。

「私を『利用』してごらん、加織さん。それすらも、私には喜びになるのだから」
「肇さん……」

 加織の言葉をきっかけに、肇は強い力で加織を抱きしめた。背中と腰に肇の腕が周り、まるで肇と言う檻に閉じ込めているかのように。その瞬間、加織の身体を肇の香りが包む。先日感じた濃厚な紫煙の香と共に、今までは知らなかった肇の香りが。
 どれほどの時間を抱き占められていた。肇が小さく息を吐き、加織を開放する。頂に唇を一度寄せ、少し乱れた加織の髪をひと撫でする。

「今日は、もう帰った方がいいね」

 鞄を手に、加織は階段を駆け下りた。恥ずかしさで染まる頬を隠しながら。

 ※※※※※※

 加織のいなくなったソファーを、静かに撫でる。少しだけ残るぬくもりすら愛おしく感じる自身に苦笑が浮かぶ。

「過剰な愛情表現なのか、それとも自分しか見えないように追い詰めたいのか……」
「両方だよ」

 いつの間にか姿を現せた明良の言葉に、肇は軽口で返すが。肇の溜め息がとまることはなかった。
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