僕が君の愛

「ところで」

 加織が、葉巻を数口吹かせたのを確認すると、肇が話を切り出した。

「『ジュリエット』が私の店に来るようになって、もう2年近くが経つのだけれど」
「なんですか、『ジュリエット』って」

 肇の発言に加織は思わず頬を緩めた。だが、カウンターに両肘をかけ、身を乗り出し、真剣で鋭い視線を向ける肇の表情を認め、頬が強張る。

「まだ、昔の男に未練があるのかい?」
「未練なんて、ありませんよ。ただ、彼の忘れ物をどう処分すればいいのか、分からないだけです」

 今の発言のどこに興味を持ったのか加織には分からない。だが、肇が少しだけ眸を細めた。満足気に。

「……では、煙草をやめられないのは何故だい?」
「ただ単純に、口が寂しいから、手が伸びてしまうんだと思います。仕事中は、吸わなくても平気ですし」

 なるほど……と言いながら、片手で口元を覆い視線だけを加織に向ける。その姿は、見惚れてしまう程様になっていた。

「では、口が寂しくなければ、煙草が止められる。昔の男も忘れられる……と言う意味だね」

 肇のいつもより低い声が、加織の鼓膜を震わせる。心拍数が少し上がり、身体も一緒に震えた様な気さえした。理屈ではそうですけれど……と途中まで言葉を紡いだ時、不意に頬に手を添えられ。
 そのまま、唇を塞がれる。残りの言葉は、肇の中に消えて。

 最初は、互いの唇が触れるだけだった。が、何度も繰り返されるうち噛みつくようなキスに変わり、頬にあった肇の手は、加織の後頭部に回っていた。
 肇の舌が加織の口腔内に入り、歯列をなぞる。加織の舌に自らのそれを絡め、上顎を優しく舐めあげ、互いの唾液がまざりあう。粘着性の、湿度が高い音が店内に響く。
 加織が先程まで吸っていた葉巻と、肇が吸っているだろう加織の知らない葉巻の味も混ざり、濃厚な紫煙の香りが口腔内に広がる。
 ――目眩がしそうだ。

 実際には数分だったのだろうが。加織には数時間ぶりにも感じるほど久しぶりに、唇が開放される。加織が眸を開くと、まだ唇が触れそうな距離に肇は居た。

「唇が寂しくならない様、私がいつでも君にキスをしてあげよう。『ジュリエット』」
「……ロミオとジュリエットって、悲恋じゃないですか」

 そう言った加織の唇を、窘める様に肇は軽く吸う。

「私は、物語の『ロミオ』ほど愚かではないよ」

 肇は口角を少しだけ上げた。
 加織の後頭部を支えていた肇の手に、再び力が入り、甘く濃厚な紫煙の香りのするキスがされる。

 加織の心の隅に残っていた思い出は、新しい濃厚な香りに包まれ見えなくなる。
 肇の左手の薬指に光る、シンプルな指輪が。何かを主張するように、店内の照明を反射し、光っていた。


< 8 / 48 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop