空って、こんなに青かったんだ。
第二章

 そのころ稲森拓海は、つきあい出してからまだそんなに月日の経っていないカノジョと、
英誠学園の近くを流れるちょっと大きめの河川の川原の土手の上を歩いていた。

そこは拓海のいつもの学校帰りの散歩道となっている。

片手には何やら小さな包みを持ち、じつにのんびり、のんびりと。

カノジョの名前は唐沢あきな、まだお互いに「彼氏」「彼女」と呼べるようなアイダガラになってから二か月くらいだ。

そうそう、「そのころ」って「いったいいつのころ?」って。

それは英誠学園野球部が県大会三回戦の試合開始に備えて試合前のシートノックを受けているころ、のことだ。

今日は一学期の終業式、お昼前にホームルームが終わり拓海は何をするあてもなくあきなとふたりでブラブラと夏空のした、日光浴をするがごとくまったりと川原を歩いていたのだった。

まあ、あきなのことはおいおい話すとして、まず拓海のことを話しておこう。

 学年は二年生、クラスはF組。今年の一月に東京から転校してきた。

まあ、手っ取り早く言うと「単身赴任」自分ひとりで東京からやってきたわけだ。

じゃあなんで高校生が「単身赴任」なんだって?

これだとなんだか良くわからないかもしれないからもう少し詳しく説明しよう。

彼はごくごく普通に東京の病院で出生した。生まれた時の体重は三千二百グラム。当たり前に平均的で平凡な両親のもとに生まれたわけ。

生まれ持ってやや気弱は面は多少あったのだけれど特にさしたる差し障りもなく成長した。

「拓海」と書いて「タクミ」と読むのだけれど、この名前は若いころバンドをやっていた父親が傾倒していた吉田拓郎から一文字をもらったものだ。

まあ拓郎本人に父親が承諾を得たわけでも何でもないのだけれど。

当然のごとく父親は拓海をミュージシャンにするつもりでいたわけだ。なので拓海が物心つくころからギターを買ってやろうだのピアノを習うか?などと随分とカマをかけたのだけれどとうとう拓海は首を縦に振らなかった。

「キョウミない」

拓海は常にそのひとことで済ませてきたのだ。そして小学校に上がって三年生に進級すると父親の期待をミゴトにウラギリ、野球チームに入ってしまった。

リトルリーグというやつだ。

しかし何があるかわからないのが人生、彼には天から授かった才能があったのか、みるみる頭角を現しまたたく間に上級生を追い越しチームの柱となってしまったのだった。

だけどこれには多少の種明かしをしなければならなくて、そうでないとこれを読んでいる人は彼が心底真の天才と勘違いをしてしまうかもしれないから。

実は彼は小学校に上がる前から父親に野球の手ほどきを受けていたのである。

きっかけは拓海が四、五歳の頃のこと、正月に父方の実家に帰省したおり、たまたま落っこちていた棒っきれを父親が拓海に持たせてゴムボールを打たせたらそれが物凄い打球を放ったのであった。

自らも高校時代まで野球部に属し、幼少の頃はかなりの腕前だった父親はひとめで拓海の野球の素質を見抜き、持たせていた棒っきれを取り上げるとすぐさまその足でスポーツ用品店へと向かい、拓海にグローブとバットを買い与えたのだった。

そんなジョウキョウなのでチームには入っていなかったがその練習はかなり本格的なものであって、三年生になる頃には普通の軟式チームに入っている子供たちでも拓海に太刀打ち出来る子はまずいなくなってしまっていたのである。

そしてそんな拓海の野球をするところをたまたま見かけた両親の知人がチームを紹介してくれたわけだ。

ちなみにその知人というのは関西高校野球界の超名門校の出身で、地元でもかなり顔が広かったりしたわけだ。

若干はなしが前後してしまったのだけれど、そんなこんなで拓海は投げてはエース、打っては四番打者となってまっしぐらに出世街道を爆進し、アッという間に都下では有名な選手になってしまった。

ところがリトルリーグで名を馳せ順調にシニアリーグに上がってからも早速チームの柱に座ってしまった拓海に、突然思わぬ災難が降りそそいだのは彼が中学一年生のときであった。

それは「両親の離婚」であった。

生まれながらに人を押しのけたりどんな時でも強気の一点張り、という性分ではない彼はこの出来事に痛く傷ついてしまった。

ただでさえ多感な思春期、心を痛めた拓海はいつくもあった名門高校野球部からの特待生としての誘いも断わりついに野球をやめてしまったのだった。

なんとかその後、ごくごく普通の都立高校に入学はしたのだけれど、なんの部活動に属することもなく一年生の冬に環境を変えたくなったのか、東京にいるのが嫌になったのか、はたまた父親と一緒に暮らすことに息苦しさを覚えたのか、父方の祖父母が暮らすこの場所にひとりでソカイして来たわけであった。

祖父母宅は部屋が余っていたし拓海が
「一緒に暮らしたい」
と言った折には特になんの差し障りもなくすんなりと話は決まってしまった。

そうして彼は今年の一月に英誠学園に転校して来たわけである。

英誠を選んだ理由が特にあったわけではない。祖父母宅から近いから、ただそれだけである。もともと拓海とはそういう人間なのである。

「そういう」というのはモノゴトを深く考えない、という意味だ。

小さい時からそうであった。別になんでもいい、何か聞けばそう答えが返ってくるのが普通であったわけ。

なので引越しにあたっても学校見学なんて一切しなかったし祖父母から
「あのあたりになんか高校みたいのがあったねえ~」
なんて呑気なことを耳にし
「じゃあ、そこでいいや」
と、本人は簡単にかつ勝手に決めてしまった。

一応、編入試験なるものは受けたが向う様も私立、生徒は一人でも多いほうが良いようで特に勉強が優秀なわけでもない拓海もあっさり合格とあいなった。

かくして拓海は、晴れて英誠学園の生徒と無事なったわけである。

一年生の時はD組だった。初登校日に教室に入り担任の先生から
「みんなに挨拶を」
と言われこれも実に簡単に済ませた。

「イナモリタクミです」

それだけ言うとかる~く会釈をして、もう黙ってしまう。

どうやらもともと無口、なのである。これも小さいころからだから仕方ない。

よろしくお願いします、とかどこどこから来ました、とかなんか続くんじゃないかと待っていたD組の生徒たちはそれだけ言うとまるでこじ開けられまいと必死に、かつかたくなに殻を固くする貝のようにだんまりを決め込んだ拓海を拍子抜けのようにただただ見つめた。

そしてなが~いなが~い沈黙が教室をメいっぱいおおい尽くしたあと、担任の先生は
「それで終わりか?」
と拓海に訊いた。

当人は、「はい」とさも当たり前のように、さらにつけ加えるならば
「ほかに何かヒツヨウですか?」
とでも訊きたいがふうに、まじまじと担任の顔を見つめ返した。

バツが悪くなったのはなぜか担任の先生のほうで、仕方なく先生は
「あそこに座りなさい」
と空いている席を無愛想に指さしたのだった。

拓海が先生に軽く頭を下げてから座ったその席には、左隣に野球部の平山健大がまるで古池の主のようにデカい態度で座っていた。

拓海がカバンを机に置いて席に付くとき、決して見るつもりもなかったのだけれど、ふたりは一瞬、目が合ってしまったのだ。

そしてその時のお互いの第一印象は
「ナメてんのンかい?えっ?」(健大)

「野球部かよ・・・・めんどクセ~」(拓海)
でだったのである。

野球部員は当然のことながら坊主頭に近い簡素簡潔なヘアースタイルのため拓海には一目瞭然だし、ましてやかつては自分もそのようなリーズナブルな頭髪だったわけだ。

教室を見ればあと何人かが同様のヘアースタイルだ。

まあいいや、どうせオレにはかんけ~ね~し。野球なんてウゼ~し。

ところが何の因果かはたまた神様の風の吹き回しか、なんと拓海と健大はすっかり意気投合し仲良くなってしまったのである。

それにはひとつのキッカケがあった。

拓海の初登校から数週間後、健大が学校にマスクを掛けて来たのだ。
そう、風邪をひいたときに誰もがする、あの「マスク」だ。

そして授業中も休み時間もまったく誰とも話さずひとことも口をきかないのだ。

まあもともと健大も口数の少ないほうであったし、拓海もさして気にすることもなく午前中の授業が無事に終わった。

そのあとは当然、待ちに待った昼食の時間となりおのおの弁当を開いたり学食に行ったり、なかには校庭に出たりとそれぞれが好き好きに時間を過ごし始めるわけだ。

いつも弁当持参の拓海も自分の席で持ってきた弁当を開いた。
そしてひと口、おかずをほおばったあと何げに隣席を見ると、健大が朝からしていたマスクを外したのである。

「うわっ・・・・」

それを見た拓海は言葉を失いほぼ絶句した。なんと、健大の口の周りは大きく腫れ上がって紫色に変色し、かつ歯が数本、欠けていたのである。

拓海にはすぐにわかった。

昔取ったキネズカ、デッドボールじゃなく試合中かノックの打球がおそらくイレギュラーして健大の顔面をとらえてしまったのだと。

だって投手が投げたボールが顔面に来たのなら正面から食らう打者はまずいないからだ。

右打者の健大なら、というか健大は右で箸を持っているので勝手にそう思っただけなのだが、仮にスイッチヒッターだとしても必ず傷は顔の側面に残るはずだ。

そう想像した拓海は、その腫れた顔があまりにも痛々しく、また自分にもその痛さと恐怖が経験上切実だったため思わず健大に話しかけてしまっったのだった。

「大丈夫???」

今日まで、お互いのツマラナイかつどうでもいいようなササイなプライドと意地のため、健大も拓海も絶対に自分から話しかけなかったのに、である。

そして、それがのちのち親友同士となるふたりの最初のひとことだったわけ。

そしてその時、瞬時に健大は感づいたそうだ。
「こいつ、野球やってやがったな!」
って。

だってこの痛さと、もしかするとまた来るんじゃないか、っていう恐怖を知ってるからこそこいつ、こんなに心配そうにしかもこれ以上ないくらいのアワレミの心情を醸し出してオレに話しかけてきたんだ。

間違いない。そうじゃなきゃ、こんなに親身になれるわけ、ない!

それは健大のなかで、どこかで聞いたセリフではあるのだけれど「ジシンからカクシンに」変わっていった。

それほど拓海が発した言葉は相手を思いやる情に溢れていて、健大の心を瞬時にとらえたのであった。

そして次に拓海が言った言葉が健大にやっぱり当たってた、と思わせたのである。

「イレギュラー?」

「うん」

「食べられる?」

「うん」

拓海も心配そうな表情をしたまま、しかしそれ以上は話しかけることもせず、健大もそのまま黙りこくった。

だけど、健大の心の中にははっきりとある感情が芽ばえていたのた。

「こいつ、まちがいなくいい奴だ!ただあまりにもブアイソウだけど・・・・」

そして拓海の心にもほぼ同時に、ある気持ちがふっと湧いた。

「やべっ、野球にかかわるとこだった・・・・退散退散」

そしてその日からふたりは完全無視をたがいにクイアラタメて、ときどきは言葉を交わすようになったのである。

好きな音楽やテレビ番組など、他愛もない高校生の会話ではあったのだが。

そんなこんなで少しずつ新しい学校生活に馴染んで行った拓海なのだが、同じクラスにいたもうふたつの坊主頭、つまり野球部員は久保田圭介と川津星也だった。

聞いたところによると久保田は外野手、川津はピッチャーということらしかった。

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