明日へ馳せる思い出のカケラ
「!」

 俺は血走った眼で思わず目を見張る。でもその時俺の肩には君の手が優しく添えらていたんだ。

 君がどういった意味で手を添えたのかは分からない。でもそのお蔭で異常なほど力み上がっていた俺の肩から、自然に強張ったものが消えてくれたんだ。

 一度だけ大きく深呼吸をする。知らず知らずのうちに俺は焦っていたんだろう。でももう大丈夫だ。俺は君の目を見つめながら黙って頷く。それに対して君も力強く頷き返した。

「1、2、3……」

 記憶に間違いがなければ、心臓マッサージは1分間に80回程度胸を押すはず。俺は声を張りながら、少し早いスピードで彼女の胸をテンポよく圧迫した。
 そして80を数え終わると、再び彼女の口元に耳を近づけ呼吸の有無を確認する。しかしいまだ彼女に変化は見られない。

 でもその時の俺にはもう、消極的な考えは皆無だった。彼女の意識が戻って来るまでやり続けるしかない。考えるよりも先に体が勝手に動いていた。

 口を重ねて息を吹き込む。そして無理な力を加えないよう留意しながら彼女の胸を押し続ける。それを3セットほど繰り返した頃だ。

 さすがに体がキツくなってきた。特に心臓マッサージの疲労感はハンパない。今まで経験したどのウエイトトレーニングよりも辛く厳しいものを感じる。
 でもその時俺は気付いた。暗がりではっきりしないものの、薄っすらと彼女の顔色に赤みが戻って来たんだ。

「もう少しだ!」

 声にはならなかったが、胸の中で俺はそう叫んだ。のぞき込んだ彼女の表情は明らかに変化している。気が付けばその体は弱いながらも熱を帯び始めていた。

 大きく息を吸い込んだ俺は、彼女に人工呼吸を施す。4セット目にもなれば慣れたもんだ。俺は器用に鼻を摘み直すと彼女の口にもう一度息を吹き込んだ。――とその瞬間、突然彼女がむせ返えったんだ。

「ゴホゴホッ」

 彼女は激しくもがく様に呼吸をし始める。その姿はひどく傷ましいものに見えもしたが、でも命を取り留めた事に違いはなかった。

 俺は君に彼女をヒザまくらするよう指示する。そして横向きに寝かせた彼女の頭を君の膝に乗せた。これでもう喉に何かを詰まらせる心配もないだろう。

 荒々しかった彼女の呼吸も次第に静かなものへと収束してゆく。それを確認した俺は安心したのであろうか。腰が抜けた様に尻餅を着いてしまった。
 ただその時、俺は無意識にも口走ったんだ。きっとそれが本心だったのだろう。

「良かった、本当に良かった。もう大丈夫だよ……」

 何でもない言葉。でもその言葉を耳にした君は、嬉しそうに大粒の涙を流していたね。でもその涙は初めに俺に見せた悲しみから出るものではなくて、嬉しさから溢れ出てるく温かい涙に変わっていたんだよね。

 俺はそんな君の優しい表情を垣間見ながらホッと胸を撫で下ろしたんだ。達成感や満足感にひたる様に――。
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