明日へ馳せる思い出のカケラ
「君は俺に何も望まなかった。その事を俺は君の優しさだと思っていた。でも少し違っていたんだね。確かにそれが君の優しさからくるって事も本当だったんだろう。でも本質にはまったく違った感情が込められていたんだ。
 バカな俺の存在を身近に感じる事で、自らの優越感を満たし幸福さをたしなめていく。ようは彼女から抱いた自身の存在定義を、俺に移動させただけだったんだよ。だから君は俺に対しても、そして入院中の彼女に対しても、気立ての良い振りばかりをし続けていられたんだ」

 君は大粒の涙を流していた。今日くらい、本当なら就職を決めた嬉し涙を流したかったろうに。
 でも俺の心無い言葉は君の心に痛烈な一撃を与え、その涙を悲痛なものへと変えてしまった。

 ――もうダメだ。俺にはもう、君を傷付ける事しか出来ない。

「いい加減、自分の気持ちに素直になったらどうだよ。そうすれば、君自身はもっと救われるんじゃないのか?
 いいじゃないか、そこに悪意が存在しようと、君の行為自体は犯罪でもないし、まして罪だと咎められる事もなんだからさ。
 それに君は事実を正しく認識しているだけなんだ。俺っていう不甲斐ないバカな男の姿を蔑む。そこには何一つ、嘘偽りは存在しないんだからね。だからもう俺達、この辺で終わりにしないか――」

 疲れ切っていた。何もかもが嫌になっていた。
 だから激しく憤る感情の勢いに任せて、俺は心にもない一言を添えてしまったんだ。君に何を言ったのか、理解出来ないままでね。

 でもそこで君が俺に返した言葉は意外なものだった。
 いや、少なくとも俺には想像し得ない言葉だったんだ。

「……ごめんね。私の気持ちがあなたにとって、どれほどの負担になっていたかなんて気付きもしなかった。本当に、ごめんなさい」

 涙ながらに君は続ける。

「いつだって私には自信がなかったから、つい人を頼ってしまう弱い心が潜んでいたんだと思う。
 だからあなたにも、彼女にも、私は気付かないうちにひどい事をしてしまったんだよね。
 その事についてはちゃんと謝るよ。それにこれからはしっかり気を付けるよ。ただ一つだけ、信じてほしいの。
 私は嘘なんてついてない。いつだってあなたには、私の本心しか語ってない。
 だからお願い、別れるなんて事だけは言わないで。私にはあなたが必要なの。だからお願い。私を信じて――」
< 72 / 173 >

この作品をシェア

pagetop