図書恋ーー返却期限なしの恋ーー
倒れる哲
「ぶっちゃけ、はじめてエッチしたのは何歳のとき?」
 1位 19歳! 
 ――当時付き合ってたカレと、カレの部屋で(レイ 会社員)
 ――車のなかで、なんとなくノリでサークルの先輩としちゃいました(ミホ フリーター)

「ぶっちゃけ、初エッチの感想は?」
 1位 とにかく痛い!
 ――痛かったことしか記憶にない(アイ 大学生)
 ――すごく痛かったし、全然キモチよくなくて残念だった(ユウコ アパレル)

「ぶっちゃけ、ひと晩で――」
「ぶっちゃけぶっちゃけって、昔のキムタクかよ」
「うわっ」
 バサリ、と音を立てて雑誌が滑り落ちた。振り返ると、ジャージ姿の哲がニヤニヤ笑っていた。

「先生、小学校でイカガワシイもの読まないでくださーい」
 わたしは慌てて雑誌を拾い上げて、
「いいい、いかがわしくなんかないです」
 反論しながらも、恥ずかしくて雑誌を後ろに隠した。

 普段買わない女性誌なんておもわず買ってしまったのは、表紙に書かれていた見出しのせいだ。

 読者百人にアンケート調査・恋とセックスの本音――。

 赤い文字で書かれたそれに誘われるように、手を伸ばしてしまった。

 それにしても、と今読んだものを反芻する。
 自分が平均から外れてることなんてわかってた。わかってたけど、数字に示されるとやっぱりショックだ。

 はじめてのエッチ、一位は十九歳――。

 しかも噂に聞く通り、やっぱり痛いらしい。痛いのに、通過してないとオカシイって、そっちのほうがオカシイんじゃないの。なんて思っても、やっぱり気になる。

「なに。気にしちゃったの」
 哲が面白がるように、後ろ手に持つ雑誌を覗きこむ。能天気に笑ってるのが憎たらしい。だれのせいで、と心の中で反論する。
 この男が処女、処女ってうるさいから。毎日そばを通る木に花が咲いたことに気がついたみたいに、意識してしまったらやけに目についてしまう。
 反面、思うのだ。

 もしわたしがこの雑誌の子たちみたいだったら、興味もったりしなかったんだろうって。

 って、まるでそれが不満みたいじゃないわたし。逸れた思考に自分で焦る。ダメダメ。

 触られたり意味深なこと言われたり、そういうのに慣れてないだけだ。だからすぐ、気もちが引きずられてしまう。自分で自分の梶をうまくとれない。ああもう、これだから経験ないって厄介だ。

 つらつらと考えているわたしにお構いなしで、哲がいつもの席に座る。だらりと机に突っ伏して、
「あ~ねみ」
 息を吐きながらぼやいた。ふあぁ、と大きなあくび。横目で見ると、閉じた目元に青黒い隈ができていた。顔色も気のせいか、いつもよりくすんで見える。
「……忙しいんですか」
 あのラーメン屋に行った日以来、哲と話す機会はなかった。こうやって図書室に来るのは一週間ぶりだ。
 哲は目を閉じたまま浅く頷く。
「締切近いし、もうすぐ運動会だから。色々あるんだよ準備」
 この辺の小学校は五月に運動会をする。最近は毎日校庭から運動会の曲が聞こえてきて、それに合わせて子どもたちがダンスや競技の練習をしていた。その傍らには、スピーカーを持って指示する先生たちの姿。もっと広がってー! 並ぶー! 今も開け放した窓の向こうから、笛の音と共にかけ声が飛んでいる。

 でもそんな先生たちも、一時間後には教科書片手に教壇に立っている。勉強教えて叱ったり宥めたり、時には一緒に走り回って、合間にテストの採点や掲示物の作成。先生って大変なんだと、小学校に来てから改めて思った。

 目の前の男はそれに加えて官能小説なんてものまで書いている。そりゃあ疲れるだろう。
 机に突っ伏す哲をじっと見つめる。頬が少しこけた気がする。カールしない直毛の睫毛が刷毛のよう。

 顔見るの、久しぶりだ。

 あんなに来ないでほしいと思ったのに、来ないなら来ないで、どうしてるのか考えていた。ふとした時に扉を振り返ったりして。ばかみたいだ、わたし。

「先生は」

 固そうに閉じた瞼を見つめながら呟く。
「どうして、かん……小説を書いてるんですか」

 本嫌いなんだよね、と言っていた。
 そんなにぐったりしてまで、どうして書いてるんだろう。
 わたしにインタビューしてきたり、それなりに、きちんと小説を書くことに向き合ってるように見える。

 寝てるのかと思ったら、哲はうっすらと目を開けた。眠気を引きずるその顔はいつもより少し幼く見えて、おもわず唇の端が緩んだ。
 哲の伸びた手が、わたしの腕を引っぱる。顔がすぐ近く。
「てつ」
 驚いて、おもわず名前が口から飛び出た。自分に驚く。哲が目を丸くして、その後笑った。ひどく無防備な、子どものような顔。
 心の真ん中を、強く捕まれたような気がした。

「ちょっと充電さして」

 抱き寄せられる。一週間ぶりの、固い腕のなか。哲の体温はやっぱり子どものように少し高い。着ているジャージから、ワイシャツのときとは違う生地独特の香りがした。

「て、つ」
 身を捩ると、制するように強く抱きしめられる。ぶわり、体の熱が上がる。
「亜沙子、やっぱいい匂い」
 一週間前と同じ。耳元で囁かれると、意味が抜け落ちていく。ただ独特の湿度だけがあって、わたしは太刀打ちできない。

 結局しばらくの間抱きしめられたままだった。窓の外から、子どもたちのかけ声が聞こえていた。



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